社長コラム

【月刊あめのもり】2023年3月「節目の日。愛を込めてコラムを(※ inspired by スーパーフライ)」

雨森武志

雨森 武志

UPDATE 2023.03.31

はい。みなさんこんにちは。雨森です。

3月から4月にかけて、世の中的には新しい出会いと別れの季節を迎えています。とはいえ今年に関して言うと、我々アイタイスには特に大きな出会いも別れもありません。しかし今日はぜんぜん違う意味で大きな節目の日でもあります。そんな話をしていこうと思います。

さて、半年ほど前からずっとお伝えしているような気がしますが、アイタイスでは今『YOUTUBE』と『Tik Tok』に動画を投稿していて、それをスタッフが定期的にSNSで再拡散してくれています。

そんな中で、先週リポストされていたのが、これ。

僕が日々の生活の中で決めているたくさんのルールを紹介していくコンテンツの4つ目のようです。

ちなみにYOUTUBEはこちらですね。

そもそもわざわざルールとして設定しているということは、そうありたいけれどなかなか遂行できていないということ。そしてここで書かれていることは、まだ4つ目であるにもかかわらず、100個も設定されたルールの中でも、特に難易度が高いと言ってもいいものです。それくらい日々の関わり合いの中で、大人の都合で子どもを叱ってしまいます。

僕は一般的に言って、子育てには積極的に関わっている方だと思います。趣味が少なかったり、飲みに行く友人が少なかったり、あとはいちおう経営者なので、働き方も比較的自由だからかもしれませんが、長女が生まれてから今に至るまでの約6年間、出張や会食がある日(そんなの、1年に5〜6日くらいしかない)以外は、ほぼ毎晩家族と過ごし、土日祝も必ず家族と一緒にランチに行き、夜ご飯も一緒に食べています。この6年間ずっと、1年365日のうち360日くらいを家族で過ごしているでしょう。

さらにSNSにて、言わば“詐欺的に”「いいお父さん像」をイメージさせるポストをすることが多いので、「子煩悩で、子どもへの慈愛に満ちたよきパパ」的なイメージも持たれがち。

ですが、残念ながら、実際はそんなことはありません。どうしても子どもを100%愛することができず、いつもイライラしてばかりで、時にきつく怒ったり、卑怯な言い方をしたりして、そのすぐ後に、強烈な自己嫌悪に陥る。その繰り返しばかりです。

自分に子どもが生まれるまでは、自分のことを温厚な人間だと思っていたし、子どもも好きな方だと思っていたのですが、それはまったくの勘違いで、超絶“イラチ”で、大手を振って「子ども好きです」とは言えない性格であることを痛いほど自覚しました。

という前提で、今日はまず子育てに関するお話をさらっとしてみます。

思い出したくない、でも忘れられない壮絶な記憶。

自分が子どもを持つまでの想像をゆうに超えるレベルで子育ては大変です。特に長女が生まれてから数ヶ月は、控えめに言っても地獄中の地獄でした。

「喉元過ぎれば〜」とか「振り返ってみると、どれもいい思い出」みたいな物言いがありますが、長女が生まれて6年ほど経つ今になっても、まったくそうは思えない。壮絶に辛かった記憶しかありません。

僕自身でいうと、例えば重度の小児喘息で生死の境目をさまよった幼少期や、大学卒業後、就職をせずに夢を追っていたが故に究極にお金がなかった頃など、人生で「どん底」と言える時期はいくつかありますが、その中でも頭3〜4個抜けて、あの頃がきつい時期でした。他とは比較になりません。

すこし当時を振り返ってみましょう。

長女が生まれたのは、2017年の8月。我々夫婦には、家族の事情もあり、妻が里帰りをするわけでもなく、また互いの両親や親族がヘルプに来てくれるわけでもなく、妊娠が発覚してから、もろもろの準備、入院、出産、そして退院したその日からの育児、そのすべてを妻がメインで、そしてそのサポートを僕、という2人体制でやってきました。

だから例えば妊婦健診も、長女の時はどうしても仕事の都合がつけられなかった1日以外すべて、長男の時はすべて付き添いましたし、入院中も毎日病院に行きました。当然です。妻には僕しかいないわけですから。そんなことが長女が生まれた日のインスタに書かれています。あの日の感動は、いまも鮮明に記憶に残っています。

また妻が産気づいた時に、誰も周りにいないのはよくないので、僕は7月の頭から自宅で仕事をするようになり、再びオフィスに出勤するようになったのは9月25日のこと。その3ヶ月間、ずっと自宅で妻のサポートをしてきました。

3ヶ月間、自宅で……といっても、いわゆる「育休」ではありません。当時の僕はしがないフリーランスであり、仕事をさばいていかないことには月々の収入はゼロです。しかもスタッフも雇っていたので、その給料分も稼がないといけません。

今となっては「そもそもの前提条件がきつすぎるだろう」と思いますが、何も知らなかった当時はさほど悲観的には考えていなかったのは事実。愛すべき家族が1人増え、新しく、楽しい生活がスタートする! と、退院したその日も希望に満ちていたことをよく覚えています。しかし……

そこからが地獄の始まりでした。子どもによって個体差もあるんでしょうけど、うちの場合は、とにかく夜泣きがひどい。一晩中、ギャン泣き、なんてことも当たり前のようにありました。しかも2人きりで行うはじめての子育てで、周りに質問・相談できる先輩もいないので、手の抜き方も分からず「ちょっとぐらい泣かしておけばいい」なんて風に考えることもできません。

夜通しで寝かしつけに苦心する日々。夜は妻と交代で見るというのが基本的なルールだったのですが、とはいえ「できるだけ妻は寝かせてあげたい」という気持ちもあり、自分なりに必死に頑張っていました。

ですが、とにかく泣き止まない。何をしてもギャン泣き。あの苦しさは、表現のしようもありません。

これらは当時のツイートの一部です。

どれも投稿している時間が朝方なのが、壮絶さを物語っていますね。

今でもとてもよく覚えています。「泣き止ます」「寝かす」というミッションを抱えつつ、その上で僕は当然、仕事もしなければいけません。

「2時までには寝てくれ。仕事があるねん」と思いつつ、ギャン泣きのまま2時を迎え、「こうなったら3時までに頼む! 仕事をしないとマジでやばい……」と思いつつ、ギャン泣きのまま時計は3時を指し、「頼むから4時までには! 朝イチで提出しないといけないコピーがあるねん!!」と思いつつ、ギャン泣きのまま無情にも4時になり……、が続く日々。本当に夜が来るのが怖かった。常に精神的にも体力的にも限界、いや限界を超えた状態。はじめの数カ月はそんな感じでした。

子育てが大変な3つの理由

そんな壮絶な日々を体験することで、はっきりと分かったことがあります。それはその時点で15年ほどやっていた自分の仕事(つまりはブランディングやクリエイティブ、コピーライティングなど)と比べて、圧倒的に子育ての方が大変だということ。その理由は大きく3つあります。

まずひとつ目は、経験がないままにマルっと任され、いきなり替えが効かない重要なポジションに任命されるということ。そんなこと、普通の仕事だとありえません。こんなに難易度が高くて重要な仕事を、ド新人に任すっていう。しかもどんなことがあっても投げ出せない。はっきり言って、エグいです。もうこの時点で、僕の普段の仕事と比べてどっちが大変か、言わずもがなですね。

つづいて2つ目は、こちらの都合で動けないということ。大人同士で進める仕事であれば、クライアントとの関係性や、案件の性格にもよりますが、たとえば「すいません! ちょっとイレギュラーなことが起きたので、スケジュール、少しだけ遅れます!」とか「すいません。このタスク、こちらで持つと言いましたが、ちょっと動ける状態じゃなくて、やっぱりそちらでお願いしてもいいですか?」なんてことも言えます。というか、僕なんかそればっかり。いつも原稿の〆切をこぼしています(それはそれで問題ですが・爆)

しかし小さな子どもの世話はそれができません。たとえばオムツが汚れて泣いている子どもに「すいません! ちょっとイレギュラーなことが起きたので、オムツを替えるの、少しだけ遅れます!」とか「すいません。オムツ替え、こちらで持つと言いましたが、ちょっと動ける状態じゃなくて、やっぱり自分でお願いしてもいいですか?」とは言えません。この点においても、僕が普段やっている仕事より大変なのは明らかです。

そして最後に、やっても誰からも評価されないということ。これがかなり大きな要因です。そもそも仕事はお金がもらえます。それにいい仕事をすれば、周りから讃えられるし、評価も上がります。その結果、承認欲求や自己顕示欲も満たされるでしょう。しかしながら子育てはそれがありません。上に書いたとおり、こんなに精神的・体力的にきつくて難易度も高いのに、やって普通。完遂して当たり前。みたいなプロジェクトです。エグいですよね。

こういう誰からも評価されない“名もなきタスク”系は、いちばん難しいものです。

適した例かは分からないですが、たとえば24時間テレビで100キロマラソンをする芸能人たち。たしかにすごいことですが、「愛は地球を救う」みたいな大義名分が掲げられた中で、あれだけ注目を浴びて、みんなに応援されて、「勇気をもらいました!」なんて声をもらいながら走るのは、はっきり言って簡単だと思います(走っている方、すいません)

それより誰からも注目もされていない。誰からも評価されない。そんな中で、夜な夜な睡眠時間を削って子育てをしているお母さんたちの方が、よっぽど難易度の高いことをやっていると僕は思っています。

別の例で言うと、仕事がヤバい状況の時に徹夜するのって、言わば簡単なんですよね。『徹夜』という燦然と輝く名前があり、また「徹夜した」っていうと、みんなに「お疲れ様!」「よく頑張ったね!」って言われるし、「あの人は頑張り屋さんだ」って思ってもらえるし。それよりも後になってヤバいことにならないように、ずっと前から地道にコツコツとやる方がずっと大変。子育てはそれの最たるものです。しかもそれでいて、徹夜レベルに睡眠も削られるっていう。エグい。エグすぎる!

僕はその「特に評価されない」という事実に耐えられず、どこかで「発散したい」「認められたい」「頑張っていると思ってほしい」と思っていたのか、ここまで埋め込んできたように、その辛さをずっとツイートで吐露していました。そしてそれが妻を傷つけてしまいます。

それもそのはず。確かに僕のツイートは、受け取り方次第では、「ママを助けるためにパパが頑張っていて、その恩恵を受けたママが楽をしている」という風に読めないこともありません。

僕は子育ての過酷さを知り、ただただ妻をサポートしたいという気持ちで、頑張っていました。しかし肉体的にも精神的にもいちばん頑張っていたのは、紛れもなく妻です。彼女は子どもだけでなく、育児とは別に仕事がある僕にまで気を遣いながら、その上で、僕以上に睡眠時間を削りながら、いろいろと調べ、実践し、修正し、娘が問題なく健やかに育つよう、努力し続けていました。

僕はその努力を無にするようなツイートをしていたことに気づけず、何度か妻とはぶつかりました。ただただ情けないばかりです。

子育てをする理由<その1>〜楽な方が大変な方を手伝う当たり前の理論〜

ということで、ここまでをまとめると、僕が子育てに積極的に関与する理由は「自分の仕事より子育ての方が大変だから」という非常に単純なものです。「楽な方が大変な方に加担する」。当たり前ですよね。どこの会社もやっていることだと思います。

したがって両方をやった上で、パパが「いや、俺の仕事の方が絶対に大変やん」と思うなら、そして奥さんもそれに共感しているなら、子育ては奥さんに任せればいいと思います。僕はそうじゃなかっただけ。どう考えても子育ての方が大変だと感じたので、あれから6年ほどが経った今も、仕事より育児を優先させて、できるだけのことはやっているつもりです。

僕の親しい友人の中にも「俺は子育てはしない。その代わり、稼いでくる」と言っている人がいました。その発言が時代には合っていないことも分かりますが、僕は彼を尊敬しているし、実際に稼いでいるし、奥さんが納得しているであろうこともなんとなく分かるし、かっこいいなと思います。

他の友人にも、冗談交じりで「俺もオムツ、変えたことあるよ。2枚くらい」みたいな、つまりあんまり子育てに参加していないことを特に恥ずべきことではない感じで公表していた人もいました。

僕はそういう発言を耳にした時に、「優しくないな」とか「時代に合っていないな」なんてことはぜんぜん思わず、「あ、子育てより大変で、その人じゃないとできないような仕事をしていて、それに奥さんも納得しているんだな」と感じて、やはり「かっこいいな」と思ってしまいます。僕がそっちではないので、余計に子育てに関与していない人への憧れがあるんでしょう。ちなみに僕は、オムツは長女と長男の2人を合わせて1,000枚くらい替えてます(妻は3,000枚くらい替えているでしょう)。

つまり時代の流れ的に「男性の育休取得」や「子育ての参加」を推奨する動きが広がっていますが、僕は必ずしもそうあるべきだとは思っていなくて、上に書いたとおり、パパの仕事が子育てより大変なものであれば、育休をとる必要もないし、それを誰も咎めることはできないと思っています。

ここで大事なのは、先に書いた「両方やった上で」という部分です。この点において、やはり育休的な期間が必要じゃないかなと思います。なぜならママはパパの仕事を体験しにくいから。

両方をやる、つまり自分のメインじゃない方をやってみて、どっちが大変かを判断するためには、「パパがいったんお仕事を休んで、育児をやってみる」というのが適していると思います。「ママがいったん育児を休んで、パパの仕事をやってみる」という風にはなかなかいきません。そういう意味で、やはり育休的な期間は必要でしょうね。

とにかく誰でも育休をとったり、子育てに参加したりしないといけないわけではないと思っているということは、動画の中でも話しています。極端な話、ワールドカップの決勝の前日、メッシは子どもの寝かしつけをするために、自分の睡眠を削るでしょうか。そしてそれをやらなかったからといって、メッシの奥さん、アントネッラさんは怒るでしょうか。そんなことはないと思います。

子育てをする理由<その2>〜拭い去ることができない罪悪感と引け目〜

そして僕が子育てに積極的に取り組んだのには、もうひとつ理由があります。

これに関しては「それは仕方ないよ」「さすがにそこまで背負い込まなくてもいいんじゃない?」と言われるかもしれませんが、妻の妊娠が分かった時、僕は自分を含む「男性のずるさ」みたいなことに、驚きました。なんというか、普通のこととして受け入れられないというか。自分に子どもができるまでもきちんと考えれば分かることですが、想像力が欠けていたんでしょう。

つまり子どもは夫婦2人で一緒につくるものなのに、体に負担があるのも女性だけ。仕事に大きく支障が出るのも女性だけ。大切に培ってきた仕事上のキャリアがそのタイミングで断絶することすらあるわけです。また授乳中も含めてお酒も飲めないし、食べ物も制限があるし、自由に動けないし……という制約だらけの状況に対して、男は特に何も変わらないし、何も背負いません。

これは神を呪うべきなのか、どう考えたらいいのか僕には分かりませんが、とにかく、

え、男だけ、ずる! せこ!!

女性に比べて男だけ楽すぎるやろ! 

と強烈に思ってしまいました。

その罪悪感や引け目は、今もずっと感じたままだし、どうやっても償いきれないと思っています。もちろん妻は「そこには引け目なんか感じなくていいんじゃない?」と思っているかもしれませんが、どうしても僕は居心地の悪さは拭えないまま。それは今も変わりません。

せめてもの試みとして、僕は妊娠中と授乳中の約2年間、妻と同じくお酒を飲まなかったし、妊娠中から始まり、そこから6年近く経った今なお、できるだけ毎日、妻の足のマッサージもしています。もちろん家事もできるだけやってきました。それでも「男だけずるい」という意味での罪悪感は拭えていないまま。これは死ぬまで解消しないんでしょうね。

もっとも尊ばれる存在が、妻。

ここまで来て、さらに話をちょっと変えて、妻のことも少し。

彼女は長女が生まれ、無事に保育園に入れられた後、仕事に復帰し、さらに昔からずっとやりたいと思っていたマッサージの仕事をすべく、大変な仕事と子育てを両立させながら、空いた時間で学校に通い、資格を取得します。

その間も、誰に頼ることなくほぼ一人で(僕のサポートなんて、微力すぎてないのと同じ)きちんと家事も育児もやりぬき、いろいろなストレスを抱えながらも、それでも常に明るく子どもたちと接し、それでいてずっと見た目もきれいなままという、すごい人です。

資格をとった後、特に好きでやっているわけでもない派遣の仕事から、念願のマッサージお店へと転職活動を行っていました。もちろん僕もそれを全力で応援していて、その結果、ひとつの店舗から内定をもらいます。池尻大橋にあるお店でした。

それまで勤めていた派遣会社を辞めて、翌週からついに念願だったマッサージの仕事が始まるという時……

2人目の妊娠が発覚します。

ずっと願っていた夢が叶う直前だったにもかかわらず、転職は断念。マッサージは身体全体の力が必要な仕事なので、妊婦さんには向かないという判断です。

僕は愕然とし、ここでもまた先ほど書いた「男だけ、せこ!」を感じます。

重複になりますが、子どもは2人で一緒につくったもの。だから責任や背負うべきもの、犠牲として失うもの、それらすべてがママとパパとで等分されるべきです。にもかかわらず、女性だけ失うものが大きすぎる。

願っていた転職が、妊娠のせいでなしになった。あの時に感じた罪悪感は、妻にかけられる言葉もなければ、目を合わせるのも憚れるくらい大きくて、ずっと忘れられないし、だからこそ今もなんとか償いたいと思っている次第であります。

マッサージへの転職は叶わないけど、派遣の仕事を辞めることが決まっていたので、そのタイミングで僕は自分の会社に妻を雇い入れることにして、その数カ月後から育休〜産休に入り、無事に2人目となる長男が生まれます。しかし保育園にはなかなか入れることができず、その間もずっと妻は育児・家事をこなしながら、同時に保活も就職活動も行い、結果的に予定よりは何年か遅くなりましたが、今は念願のマッサージの仕事をやっています。

ガチンコで尊敬できる人です。

そうやって、いろいろなことを犠牲にしながら、全力で子どもを、そして家族を支えてくれている僕にとっての妻であり、子どもたちにとってのママ。彼女は家族の中で最も尊ばれるべき存在であることは間違いありません。

だから僕は、たとえばママが子どもを叱っていて、そのせいで子どもが凹んでいたり、泣いたりしている時に、それを慰めるために子どもに優しく寄り添う、なんてことはしないと決めています。ママだって怒りたくて怒っているわけではない。なのにそれをすることで「パパは優しい。それに比べてママは怖い」という印象を与えてはいけません。

また子どもたちが成長する中で、仮にママのことを馬鹿にするような発言・態度を見せた時は烈火のごとく怒るだろうし、誰かに「ママとパパ、どっちが好き?」みたいな質問をされたとして(この質問をする目的はまったくわからないですが)、それに「パパ」と答えようものなら、全力で叱ります。そんなの、まったく嬉しくない。ママが君たちのためにどれだけ頑張ってきたのか。それをこんこんと言って聞かせるつもりです。

そして僕がオッサンと呼べる歳になって、それでも妻への思いを恥ずかしげもなくインスタなどに投稿しているのは、そんなリスペクトの気持ちや愛情をカタチにして届けたいから。そしていつか娘や息子が大きくなった時に、彼女の頑張りを知ってほしいから。いくつかピックアップして、ここに埋め込んでみたいと思います。

子どもへの思いを綴ったものもいくつかあります。

終わりに

はい。今日はここまで。思ったより壮大なお話になった気がします。

この月1コラム、毎月末日に書いているのですが、実は今日、3月31日は妻の誕生日です。彼女は今日、40歳という大きな節目を迎えます。最初に書いた「節目」というのは、それを指していました。

ちなみに僕が妻の誕生日を初めて祝ったのは、彼女が24歳を迎えた日。もう16年前なんですね。

その日、僕は学生時代からの友人に無理を言って、当時住んでいたマンションの屋上から見える位置で準備をしてもらい、
合図とともに打ち上げ花火を上げるという破天荒なサプライズをしました。
今思うとギリギリですね(笑)。果たして妻は嬉しかったのでしょうか。怪しいもんです。

とはいえ、彼女を大切に思う気持ち、そして去年からまた1年が経ち、無事に誕生日を迎えられたことを祝いたい気持ちは、小さな打ち上げ花火を一緒に見たあの日から16年がたった今なお、何一つ変わりません。もういい年なので、派手なサプライズはできませんが、今日は仕事後に家族で食事に行きます。

これはその時に用意したもの。パティシエの友人につくってもらった完全オリジナルの誕生日ケーキです。非常に分かりにくいですが、プレートの一番下に「24」と書いています。

ちなみに僕たち夫婦には、一緒に暮らし始めてから長女が生まれるまで、つまり夫婦2人だけの生活が3年ほどありました。

その頃の僕たちは、金曜の夜は基本的には飲みに行くようにしていて、仕事が終わったあと、だいたい目黒や五反田、大崎あたりで待ち合わせて、食事をし、電車で最寄り駅まで戻って、コンビニでスイーツを買い、それをこっそりカラオケに持ち込んで、1〜2時間ほど歌を歌い、千鳥足で帰宅するといった庶民的な華金の楽しみ方をしていました。当然ながら年に数回の旅行も2人だけ。どこの子育て世代も同じだとは思いますが、いつも、どこに行くにも子どもと一緒である今とはまったく違います。

もちろん今が楽しくないわけではないですが、2人だけだったあの頃も楽しかったのは疑いようのない事実。当時のように2人だけで気ままに遊びたいなと思う気持ちがないわけではありません。

しかし上に書いた通り、我々夫婦には、少しの間だけでも、2人の子どもを誰かに預けられる環境にありません。(厳密にいうと、シッターさんにお願いする、なんて方法もありますが……)実際、長女が生まれてから、平日に2人でランチに行くことこそあれど、夜に2人だけで出かけた回数はゼロ。今はできないからこそ、あの古き良き時代に思いを馳せてしまいます。

そういえば1人目の妊娠中の結婚記念日。妊娠中なのでお酒は飲めませんでしたが、レストランを予約して、食後に出してもらうケーキのプレートに「また20年後に、ふたりで」と書いてもらったこともありました。あの時から「どこにも預けられない」ということは、覚悟の上だったんですね。

こちらはもっと分かりにくいですが、一番下に「また20年後に、ふたりで」と書いています。これは写真を撮った店員のミスやろ!

でもまたいつか、昔と同じように2人だけでお出かけがしたいと思っているし、できると信じています。子どもたちを家に置いて出かけられるのは何歳くらいからでしょうか。高校生にもなれば大丈夫かな? その日まで、また子育ても、仕事も頑張ろう。目標があることはいいことだ。

安い居酒屋で構わない。「美味しいね」と語り合い、2人ともがダイエットに精を出す中で、罪悪感のままにコンビニスイーツを買い、あの頃と同じように妻はスピッツや竹内まりやを、僕はチャゲアスや浜田省吾なんか歌った後、ほろ酔いで家へと帰る、そんなことができる日まで。

大丈夫。息子が15歳になるまで、あとほんのたった12年。頑張っていればあっという間。そうやって毎日を過ごしていこう。

そして最後に、40歳のお誕生日、おめでとう。いつもありがとう。

ではまた。

Editor’sNote

雨森武志

雨森 武志

五反田に小さなオフィスを構えるブランディング&クリエイティブカンパニー、アイタイスの代表です。

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