社長コラム

【月刊あめのもり】2023年9月「たった3年。されど3年。あの日の学びが、今に息づいている。」

雨森武志

雨森 武志

UPDATE 2023.09.29

みなさん、こんにちは。アイタイスの雨森です。

先ほど配信されたメルマガにも書きましたが、本日9月29日は、僕が朝イチより都心から遠く離れた八王子での取材に向かっております。したがって、毎月末日のお昼にやっている『振り返りインスタライブ』は、いつも通りの時間にはできません。
おそらくオフィスに戻るのが昼過ぎになると想定していて、インスタライブ自体は15時くらいからできるかなと思っております。お仕事の都合がつく方は、ぜひリアルタイムでご覧になってください。


インスタライブはコチラから。

と、大事なことなので、先に言っておきました。今日のこのコラムではちょっとした思い出話をしたいと思います。

得意! とまではいかないけど……

先月より新しいプロジェクトに参加しております。クライアントは主に通信販売で会員様向けに商品を提供している大手化粧品・医薬品のメーカー(間に代理店が入っていますが)。そのオウンドメディアの運用をお手伝いさせていただいております。

「化粧品メーカー?」「お前みたいな40を超えたおっさんライターが??」と思われるかもしれませんが、実は得意分野……とまでは言えないかもしれませんが、少なくとも苦手な業種ではありません。

そもそも僕には、専門とする業種も、逆にできない業種も、基本的にはありません。「何度もやったことがある」「何回かやったことがある」「まったくやったことがない」と、経験の差があるだけです。その中で、「化粧品」や「健康食品」は「何度もやったことがある」に入るもの。その理由は、15年以上前、僕のサラリーマン時代にさかのぼります。今日はその会社での回想録にしましょう。上で「思い出話」と書いたのは、それが故です。

実はこの辺の話は、なんとなくかつて自社サイトで連載していた「ジブン40年史 -私の歩み-」の中で書こうと思っていたのですが、自ら頓挫させてしまったので、その代わりと言えるかもしれません。

さて、僕が大阪にあるその制作会社に務め始めたのは2006年のこと。大学を卒業した後の僕は、就職をせずに仲間同士でワンルームの事務所を借り、“起業まがい”のことをしていました。しかし経験不足もあってか、なかなか事業を波に乗せることができないままに2年ほどが過ぎていきます。結果的に自ら描いた夢を諦めるカタチで、その会社に入社。26歳にして、はじめてサラリーマンを経験し、29歳で独立するまで3年ほど務めました。

職種は『コピーライター・プランナー』。そして師事したのは、僕よりだいぶ年上(おそらく20歳程度?)の女性のコピーライター・ディレクターでした。先に「化粧品」や「健康食品」の経験が多いと書いたのは、直属の上司だったそのディレクターが、それらの業種に関わることが多かったから。彼女のサポートをする中で、業界の常識や広告物の手法、あとは薬事法に関わる注意の仕方などを少しずつ学んでいきました。

とは言え今日はその業界に関わる話をするわけではありません。もうすこし大きく、「その会社でどんなことを教えられたのか」を少しだけ紹介しましょう。

クリエイターとして最も大切にすべき考え方とは?

その上司はとても厳しい人で、僕はいつも怒られてばかり。そもそも僕は大学生の頃から、遊び半分・仕事半分で音楽ライターとしての活動をしていました。しかし「ただ雑誌や本を読むのが好きだった」という理由だけで始めているので、誰にもきちんとしたコピーの書き方など、教わったことがない状態。いま思うと本当に酷いレベルの原稿しか書けていませんでした。

そんな僕に対し、コピーの書き方を中心に、企画のつくり方や企画書の書き方、クリエイティブディレクションの方法、つまりいま仕事でやっていることの基本的な知識やノウハウをすべてその上司から教えてもらいました。※ブランディングやコンサルティングの領域までは、ここでは学びませんでした。

そして、コピーを書いても書いても書き直し、企画を出しても出しても出し直しといった日々が続く中、こんなことを言われたのを覚えています。

あんたがどう思っているかとか、どうでもええねん。

ここでの「あんた」とは、つまり僕。おそらく一言一句、このままだったと思います。

上に書いた通り、僕はそれまで数年にわたってクラブミュージック専門の音楽ライターをやっていました。『音楽ライター』という職業は、ある程度、書く人のキャラクターが原稿の上に乗っていることが多く、切り口や言い回しなど、ライターそれぞれの個性というか、クセみたいなものが必要だと当時の僕は考えていたと思います。

しかし広告のコピーを書くコピーライターは、まったく逆。いっさいの個性やクセを排除した、ニュートラルでフラットな文章を書かなければなりません。個性やクセが必要なのは、クライアントがそれを求めた場合のみ。とにかく重要なのは、「クライアントが持つ目的を実現する上で、何が正しいのか」だけであって、コピーライターであるお前がどう思っているのか、何を大切にしているのかなどは、まったくどうでもいいことである。そういった趣旨で放たれたひと言だったと思います。

これは至極真っ当な意見で、今も寸分狂わず正しいと思っています。僕が専門学校で講師をしていた頃も、部下に仕事のやり方を教える時も、まったく同じように伝えてきました。そもそもクライアントからお金をもらって表現をしているのが、我々クリエイター(ここが「アーティスト」との違い)です。その状況において「自分がこう表現したい」なんて思いを介在させるなんて、そんなおこがましいことはありません。

すべてはクライアントのために。仕事をする上で、もっとも大切にすべきと考え方を、その上司から徹底的に教え込まれました。

唐突な動画ですが、今回のコラムは入れられる写真がぜんぜんないので、いま話に出てきている会社の後輩の結婚式で、同じく後輩の女の子と一緒に余興で歌を歌った動画を貼っておきました。たくさんの友人の結婚式でピアノを弾いてきましたが、自分も歌ったのはこのときが最初で最後です。

話を戻しましょう。僕がその会社ではじめて担当したクライアントは、医療機器を扱う大手商社でした(これまた間に代理店は入っていましたが)。その中でも僕がメインで進めていたのは、看護師さん向け商品のセールスプロモーションを目的としたメディアのコンテンツ企画〜制作まで。まさに今でいうところのオウンドメディアの運用ですね。

そこで僕が書いていたのは、例えばナースさんの制服を紹介するコピーなら「生地がしっかりしているので、下着のラインが見えなくて、安心だわ」というような、つまり「自分の主観的な感想」などはいっさい排除された言葉です。それまで音楽ライターとしてやっていた「まず自分が聴いて、その主観的な感想をベースに書く」といった手法とはまったく違いました。

若手社員だけで遊びにいった時の写真。同世代は仲が良かった会社でした。

またアイタイス流というか、雨森流というか、僕のコピーの書き方の中で、もっとも大事なルールである「連続して同じ語尾を使わない」というのも、この上司から教えてもらったもの。10年以上経った今でも、徹底的に守り続けています。

他にも「一つの主語と一つの述語で『。(=受けまる)』を打つ」など、基本的な方法論を無数に教えてもらい、どれも今なお適用しているものばかり。このあたりはかつて在籍したスタッフがコラムに書いているので、お時間がある方はぜひ。


誰でもカンタン。読みやすく、きちんと伝わる文章教室vol.1

挙げだすときりがないのですが、その他にもその上司から言われたことは、今でも僕の中に息づいています。少し例を出すと……

「どんな立場の人が読んでも、一回で、たった一つの事実が、いっさいの誤解なく伝わる文章を書きなさい」

「デザイナーやエンジニアと違って、コピーライターは『日本語』っていう誰にだって書けるもので商売している。それでお金を稼ぐってことがどれだけ大変か分かるか?」

「正しく伝わる文章を書く。モノゴトを企画する。あんたが今やってることは、これから仮にどんな職種に就こうとも、必ず役に立つことやで」

……。

はっきり言って、すごく怖い上司でしたし、時に言葉尻もあらく、当時は好きな人とは言えない存在でした。

しかし何度も怒られながら学んだことをベースに、その後29歳で独立し、さらにその8年後に会社をつくって今に至るまで、なんとか食いっぱぐれることなく、クリエイティブワークに臨むことができています。ありがたい話ですね。

ちなみにその元上司は、昨年、現役を引退して、もうお仕事はいっさいされていないとのこと。これからの僕自身の活躍、そしてあの3年間言われ続けた「クライアントのために」を実現し続けることでで恩返しをしていきたいと思っています。

はい、今日はここまで。

はい。毎度のことながら、公開前日の深夜にヒィヒィ言いながら書いているので、あっさりとした内容ではありますが、明日の朝も早いので、これくらいにしておきましょう。

繰り返しになりますが、インスタライブは本日29日の15時くらいになります。皆さんぜひ、リアルタイムでどうぞ。


インスタライブはコチラから。

ではまた。

Editor’sNote

雨森武志

雨森 武志

五反田に小さなオフィスを構えるブランディング&クリエイティブカンパニー、アイタイスの代表です。

迷子のコピーライター

1,815(税込)

レビュー

ユーラシア大陸横断、就職、病気、挫折、出会い、別れ……。コピーライターという枠を超え、人生の迷子になった著者が、あらゆる違和感と向き合った末にたどり着いた〝ある想い″。 商店街のユニークなポスターを制作し、町おこしにつなげる『商店街ポスター展』で注目の著者が、プロジェクトを手掛けるまでの悩みや葛藤、そしてその人生を自身の言葉でユーモラスに綴る。