社長コラム

【月刊あめのもり】2024年8月「数少ない教えを胸に(※別にまだ死んでない)」

雨森武志

雨森 武志

UPDATE 2024.08.30

みなさん、こんにちは。雨森です。

毎月末日に更新するこのコラム。計画性がないが故に、ここ数年、100%前日の夜(というか当日の朝)に書いているのですが、特に8月に関しては、夏休みの宿題に悩まされた学生時代を思い出しながら書いています。

みなさんご存知の通り、今年は31日が土曜日、9月1日が日曜日。2学期が始まるのが「9月2日」という、学生にとっては非常に有利なカレンダーの並び(小学校1年生のうちの娘は、この土日にかけています・笑)。にもかかわらず、「末日が休日の場合は、前倒す」という自分が勝手に設けたルールを必死で守らんとしている律儀な自分がいます。

ということで、まずはいつもの通り、業務連絡を。今日も『マンスリー振り返りインスタライブ』、やります。12:30から配信しますので、ご都合のつく方はお昼のお供にリアルタイムでどうぞ。


本日の12:30から

今日は帰省をしたタイミングで会ってきた僕の父親に関する話を少しだけしてみようと思います。

キヨシです。キヨシです。キヨシです……(ヒロシ風に)

僕の父、清志(以下、普段呼んでいるように「オトン」)は、現在81歳。ちょうど日本人男性の平均寿命と同じ歳となり、加齢と認知症によって、ほぼコミュニケーションがとれない状態となりました。僕を含めた家族のことも、ほとんど分かっていない様子で、現在は自宅ではなく、施設にて介護をしてもらっています。

色々なケースがあるとは思いますが、老化というのは急激なスピードで進みます。ほんの2〜3年ほど前までは、記憶もしっかりしていて、会話もできたのですが、一気に今の状態になりました。月並みですが、まだご両親が元気な方は、今のうちに喋っておきたいこと、今のうちに聞いておきたいこと、早めに実現しておいた方がいいですね。

若き日のオトン。僕が1~2歳の頃でしょうか。

そんな父ですが、いわゆる父性みたいなものや、男としてのプライド的なものがまったくない人で、どちらかというとコンプレックスばかりを抱えたような、基本的に真面目で、優しい人でした。

雄々しさというか、猛々しさというか、そういったものも皆無で、それが故に、僕もあまり怒られた記憶もなく、またいわゆる「男としての生き様を教え伝える」みたいな経験もまったくありません。

どうでもいいですが、『すべらない話』で千鳥の大吾さんが話していた彼のお父さんと、非常にイメージがかぶります(しかも名前も同じ「キヨシ」です)

@jisjis33 #千鳥#大吾#クルーザー#父の船#父と釣りに行く話 #すべらない話 ♬ オリジナル楽曲 – user205728

そんなオトンから言われた数少ない教えとして、今パッと思いつくのが4つあります。それを今日は書いて見ましょう。

1:道具を大切に

僕は小さな頃からずっとサッカーをやっていて、小学生の頃は、オトンはいつも試合を見にきていました。

オトンは足が悪く、体育会系の対局にいるような人でしたが、サッカーをやっている僕に「一流の選手は、みんな道具を大切にしている」と言ってきたことをよく覚えています。

まったく目新しい情報ではなく、様々なところでよく聞く話であり、オトンもどこかで伝え聞いたことを僕に言ってきただけかもしれませんが、なぜか割としっかりと心に響いたのは事実。

サッカーをやっていた頃のスパイクや、バンドをやっていた頃のドラムの機材など、自分が使う道具を割と大切にメンテナンスしてきたと思っています。

高校時代はサッカー部の練習が終わったあと、生真面目にスパイクにクリームを塗ってブラシで磨いていましたし、ドラムをやっていた時は、最高の音質が保てるよう、スタジオに入る度にスネア(一番重要と言っていい太鼓の種類)のチューニングをして、あまりしっくりこなければ、懇意にしていた楽器店の担当者に度々相談していました。

現在の僕の仕事での道具となると、パソコン……もありますが、それよりももっと大切にしている道具は、文房具です。

できるだけアナログでいたい派なので、ノートとペンで仕事は進めたく、さすがにメンテナンスと呼べるようなことはあまりしていませんが、ひとつひとつ、きちんと選んで使っているつもりです。

また手帳(スケジュール表)に関しては、まさかの自作。過去3年にわたって、自分で使いやすいスケジュール表をつくっていることはこれまでのコラムでもお伝えし通りです。


【月刊あめのもり】2021年1月「脱〇〇宣言!(前編)〜あの日から30年が経って〜」

2:困っている人を助ける

これは直接オトンから言われたわけではなく、ある出来事から学んだ教えです。小学校の3年生くらいまででしょうか。サッカーのチームに入るまでの僕は、お正月と夏休みは、オトンの実家がある高知県で過ごすのが常でした。

その日のことは、よく覚えています。数日を祖父母の家で過ごし、大阪に帰る日。車を出してすぐに、道端をフラフラと歩いているお爺さんがいました。もちろんまったく知らない人でしたが、オトンは車を停めて窓から言います。

おんちゃん、どこ行きゆうが?

高知弁ですね。「おっちゃん、どこに行くの?」の意。一言一句、そのまま覚えています。真夏の昼間に、田舎の一本道を一人でフラフラと歩くご老人。見ず知らずの人でしたが、心配になって声をかけたようです。オトンはそのままそのお爺さんを車の後部座席に乗せて、お爺さんの目指す先まで、少しだけでしたが僕を含めた3人旅をしました。

なかなか今の都会ではできることではありませんが、困っている人、困ってそうに見えた人は、率先して助けるという姿勢を学んだのは確か。そこから僕も、割とおせっかいに、自分から声をかけるようにしています。

このコラムなどでも紹介してきましたが、例えば対向車線に右折ができずに待っている車があれば、100%自分の車を停めて右折できるように促します。これは今東京で運転する何百万人というドライバーの中でも一番やっている自信あり。土日はいつも車で出かけるので、その2日間で10回くらいは譲っています。

また観光地などで手を伸ばしてスマホで自撮りをしようとしているカップルや家族がいれば、絶対に「撮りましょうか?」と言います。これも大田区レベルなら、一番じゃないかなと。

これらは、どこかであの時のオトンの行動が息づいているような気がしてしています。

3:社長は一番早く会社に行く

僕が経営者となり、かつオトンが認知症になっていない期間というのは、ほんの2〜3年しかないと思いますが、その短い期間に言われたことです。

長いフリーランス時代を経て、会社をつくる際、両親に相談などはせず、報告すらしていなかったのですが、どこからか伝え聞いたオトンは、僕が帰省したタイミングで「お前、いま社長なん?」と聞いてきて、さらに「社長は、社員の誰よりも早くきて仕事せなあかんで」と続けました。

オトン自身は経営者になったことなど一度もないので、これまで勤めてきた会社の社長がそうだったのか、もしくはこれまたどこかからの伝聞なのか分かりません。

でもオトン、それに関しては完全に心配ご無用。会社をつくってから約6年。その前のフリーランスで部下を雇っていた頃も含めて、スタッフより遅く出勤したことはほぼ皆無です。始業時間の約1時間半前には会社に着くという生活をずっと続けています。

4:いい家族をつくれ

最初に書いた通り、僕はあまりオトンから生き方みたいなものを指南されることはほぼなかったのですが、これだけは事あるごとに言われました。と言っても思春期の頃はほとんど会話もなかったので、実際は5〜6回ってところでしょうか。

僕のオトンとオカンは本当に仲が悪くて、僕が物心をついてから、家族で食事に行ったり、どこかに遊びに行ったりした記憶もなく、2人が普通に会話をしているのも見たことがありません。

オトンもオカンも、それぞれは優しく真面目で、人間的に何か大きな問題を抱えているような感じではないのですが、互いの相性は悪かったのでしょう。しかし離婚はせずに、現在に至っております。その辺りの話は、以前に別のコラム、というか自ら始めて自ら頓挫させた連載で書きました。


ジブン40年史 – 私の歩み – 【10】許しがたい。許したい。そのはざまで。

オトンは自分の子どもである僕や姉に対して、一般的に見て幸せな生活を提供できていないことに相当引け目を感じていたようで、僕が高校生くらいになってから、車の中などで二人っきりになると、ばつの悪そうな様子で何度かこの話をしてきました。

「お父さんとお母さんが仲が悪くて、お前たちには迷惑をかけたな」

「お前は頭もいいし、女の子にもモテるから、お父さんとお母さんを反面教師にして、いい家族をつくれ」

言われたのはいつもこんな感じ。

僕はその話をされるのがたまらなく嫌で、そんなことを引け目には感じてほしくなかったし、オトンにもオカンにも責任はないことは理解していたし、なんと答えていいか分からないし、とにかく何を言うわけでもなく、無言で聞いていたと思います。

そこから月日が流れ、自分が家族を持った今。オトンが何度も言っていたこの教えだけは、何を犠牲にしても遂行すると決めています。いわば人生をかけて成すべきミッションです。

前回のコラムでも同じような話を書きましたが、子どもが生まれてからと言うもの、家族以外の友人や、仕事関係の人と飲みに行くことはほぼなく、すべての土日祝を家族と過ごし、1年のうち出張を除く約360日くらいは子どもとお風呂に入り……、という生活を7年ほど続けています。

「遊んだり飲みに行ったりする友達がいないだけでしょ?」「趣味とかないの?」と嘲笑されそうですが、まあそう言われると否定はしません。傍から見ると面白くない生活に見えるかもしれませんが、そんなことはまったくお構いなし。自分に課せられたミッションを成し遂げることの方が重要で、その方が自分自身の満足度にもつながります。

これまでもこのコラムを読んでいる人からしたら「お前の“家族を愛してますマウント”はもういいよ!」と思われるかもしれませんが、まあ他に誇れるものはないので、ご容赦ください……。

はい、今日はここまで。

以上、オトンから伝えられた4つの教えでした。今日も時間がないので、画像などのない淡白なコラムになりましたが、まあいいでしょう。

12:30からのインスタライブでは、上で紹介した「2:困っている人を助ける。」に少しだけ関連した話をしようと思っています。そちらもお楽しみに。

ではまた。

Editor’sNote

雨森武志

雨森 武志

五反田に小さなオフィスを構えるブランディング&クリエイティブカンパニー、アイタイスの代表です。

O.tone[オトン]Vol.190[雑誌]

880(税込)

レビュー

◆特集 「餃子が主役」 ビールのお供として食べる。 ご飯のおかずとして食べる。 暑さ厳しき折、スタミナを求めて食べる。 ラーメンだけでは寂しいので追加で食べる。 人が餃子に求める役割はそれぞれでしょう。