『カメラマン』という肩書きで、仕事ができるようになって数年。正直に言うと、それまではどこにでもいるような、ただのカメラ小僧でした。ほんの少しカメラマンに近づいたのは、出版社に勤めていた前職で、雑誌をつくっていたときのこと。人手が足りず、「カメラを持っている」というだけで、営業職だったにも関わらず、自分で撮影までを担当するようになったのです。いま思えば、それもまだカメラマンの“ような”ものでした。そんな僕が、いまではようやくカメラマンです。もちろんまだまだ学ぶことが多くありますが、これまでに得た知識や経験を、少しずつ整理していこうと思います。
基本編の初回のテーマは『3つの心得』。駆け出しの頃から、今に至るまで、僕を支えてくれているのは、この心得です。
最初の難関は、飽きてしまうこと
少しずつ、自信をつけて
いまの自分に必要な知識は? 技術は??
最大の敵は“飽き”
ある有名な写真家が“量のない、質はない”という言葉を残しています。この1文だけを切り取って「量をこなす=上達」だとは思ってはいけません。何枚も何枚もシャッターを切ったところで、その人はまだ「カメラの機能を理解していない」かもしれませんし、「同じ構図ばかりで撮影している」かもしれない。しかしたくさんシャッターを切ることで、見えてくるフェーズがあるのも事実です。
また、この時に重要なのが、写真を撮ることに飽きないこと。撮影すること自体を、諦めてしまわないことが鍵となります。
「自分は撮れるぞ」という自負心を
僕自身、カメラマンと名乗る前に、意識的に量をこなしました。その目的は大きく分けて2つです。
1つは実践経験。今の時代、ネットを使えば撮影方法や基礎知識は、いくらでも手に入ります。それらを実際に試すための場を設けました。
もう1つは、不安の解消です。個人的には未だに”カメラマン”という肩書きには、かなりのプレッシャーを感じています。それを少しでも拭うために、いろいろな環境で、いろいろなモノを撮ったという事実が、ほんのちょっと自信になりました。
中学3年生のとき、担任が「空になった赤ペンの数が、君たちの自信になる!」的な言葉で、僕たち生徒を鼓舞していたことを覚えています。十数年が経った今、その意味をようやく理解できたのかもしれません。現像されてきた膨大なネガは、僕に勇気を与えてくれました。(あのとき、先生の言葉を理解していたら、カメラマンにはなっていなかったと思います。だから、結果的にはよかった)
学ぶべきことを、知ることの大切さ
撮影した量に比例して、技術が身につくかと言われると、けっしてそうではありません。ただ回数をこなすことで、今の自分に足りていないものが理解できます。これが非常に大事なのです。
先にも述べたように、撮影技法は巷に溢れています。お金を払うことなく、収集することさえできるのです。自身に必要な知識や技術がわかれば、上達のスピードも格段にあがることでしょう。理想とする写真があり、それを撮れるようになりたいなら、まずは学ぶべきことを知るために、量をこなしてみてください。
今回はここまで! 次回は、2つ目の心得『真似すること』です。お楽しみに!!
僕がはじめて手にしたカメラは、キヤノンの 『EOS55』というフィルムカメラでした。デジタルとは違って、現像して、プリントされるまで、仕上がりはわかりません。24枚で1ターンという、フィルムならではの緊張感。そのフィルムケースが、少しずつ積み重なっていくことが、当時の僕には嬉しくて仕方がありませんでした。