その他コンテンツ

【月刊ニシ】2021年1月「雪を見ず、過ごす冬に思うこと」

西村優祐

西村 勇祐

UPDATE 2021.01.25

2021年12月には「今年は12本書ききりました」と言いたい西村です。

新年早々に社長から会社の空きデスクにパーテーションをつくることを命ぜられました。特に集中したいときにつかう個室ですね。
なるべく外界の気配を遮るために、大きめにつくったのですが、デカすぎて、横で仕事をする僕が慣れるまで時間がかかりそう……。

そろそろ、ボケるのやめませんか?

カメラマンになってから、よくオーダーされることのひとつに「ボケ」というものがあります。
幅広い「ボケ味」があるのですが、簡単に言うと、被写体のみにピントがあっていて、背景や手前にあるモノの像が甘くなることを指しているんですね。
iPhoneの『ポートレートモード』だと思ってください。

ただ不思議なことに、その逆にあたる「パンフォーカス(以降、「パン」)」という指示はめったにありません。風景や街並みなどの撮影に用いることが多く、ポートレートなどでは使われづらいという前提はあります。

しかし、そういったセオリー以上に、世の中には「ボケ神話」があるのではないかと思うわけです。

「ボケてれば”なんとなく”いい雰囲気になる」「ボケてれば”なんとなく”おしゃれ」。
そんな風に思ったこと、ありませんか?

手前と背景がボケていますね。

こちらは比較的、ボケが少ない印象です。

撮影環境や被写体、機材、そして制作物のトーンなど。
さまざまな要素があるわけですから、必ずしもボカすことがベストな選択ではないんですね。
むしろ過剰なボケ味を求めるのは、おすすめしません。

そもそも、なぜこんなにも「ボケ」が良しとされているのかを考えてみました。

ボケのいいところ

被写体が目立つ

おしゃれに見える

使いやすい仕上がりになる

手軽に撮れる

明確な趣意があってのボケ以外の理由は、だいたいこんなところでしょうか。

一方でパンが使われづらいのは……

パンしない理由

被写体が目立ちづらい

下手するとダサい

トリミングがしづらい(使いづらい)

そもそも撮影難易度が上がる

などが考えられます。シャッタースピードやf値、ピントの位置、映り込む情報の整理など、もろもろ難しいんですよね。
でもその分、グッと印象的な写真になることだってあります。

ここで、同じ構図の写真で比較をしてみましょう。

<悪例>背景がかなりボケていて、何が置かれているのかもよくわかりません。【f値:1.2/ISO:400】
<好例>ボケはあるにせよ、背景の情報も読み取れますね。【f値:16/ISO:400】
<好例>前後にボケがありつつも、どういった環境なのかは一目瞭然。【f値:1.2/ISO:400】
<悪例>はっきりと映ることで情報が多く、雑多な印象を受けますね。【f値:16/ISO:400】

どうでしょうか? いずれも、同じレンズの最小と最大f値での撮り比べなので、かなり極端ですね。
さらに、メインとなる被写体と、背景(もしくは手前のモノ)との距離や、全体の情報量などによって、随分と印象が変わると思います。

要するに「ボケ」がいいのではなく、「適切なボケ」がいい写真の条件になるんです。
だからこそ、「とにかくボケしておけばOK!」という考え方は、やめましょう。
もしも「なんかイメージと違うな」と思ったら、カメラマンに「パン気味で撮ったらどうなりますか?」って聞いてみるのも手だと思いますよ!

私自身、ボケに頼ってしまうこともあるので、改めて適度なボケ味を意識したいと思います!
今度は思い切ってパンの写真、納品しようかな!!

正月らしく過ごせることが、幸せだと思う。

私のふるさとは、長野県の山ノ内町という雪深い田舎町です。
志賀高原というスノーリゾートを有し、98年冬に開催された長野オリンピックの会場のひとつにもなりました。『私をスキーに連れてって』世代の方であれば、聞いたことも、訪れたこともあるかもしれませんね。


ちなみに僕もスキーは大好きです。来年の冬は行きたい。(画像はAmazonより)

両親は私が生まれるずっと前に、この町に引っ越して来たそうです。
偶然ですが、ふたりとも生まれは秋田県。
父は料理人として、母は美容師として東京で働いていました。
そして長男の出産を機に、空気のキレイな長野に移住します。

数年前まで、私が両親の過去について知っていることは、この程度でした。(今でも正確な年齢を知らないほどです)

冬は寒さよりも、雪との戦いでした。

しかし、まったく想像もしていなかったタイミングで、ふたりの過去を知ることになります。
それが、妻と結婚する際に行った親族の顔合わせの席です。

どういった流れでその話になったのかは覚えていませんが、母から驚きの発言がありました。

母「東京では、二人でレストランをやっていたんです

こんな人生のビックイベントを、28年もの間、息子に知られることなく生活ってできるんですね。

店のあった場所は、東京・亀有。
父がフライパンを振って、母がホールを切り盛りする、下町らしい洋食店だったそうです。
「お父さんが安くしちゃうから、ぜんぜん儲かってなかった」と言っていました。

そんな自分たちの店を閉め、長野へと移住し、父はとあるホテルの料理人になります。
それから、同じ厨房に立ち続けること40年以上。今も変わらず、スキー場に訪れるお客さんに料理をつくり続けています。

コロナが流行る前は、先輩や妻の職場の同僚たちと滑りに行っていました。

今年は父がつくる料理を、ゲレンデを眺めながら食べることはないでしょう。
ふと「父はどういった気持ちで東京を離れたのだろう」と考えてみたものの、想像もつきませんでした。
きっとそれなりの覚悟や諦め、いろんな感情があったはずです。
それがコロナをきっかけに、料理ができなくなるのは寂しいなと。
なんとかこの苦境を乗り切ってほしいと、強く思います。

なのでみなさん、世の中が落ち着いたら、スキー場に行きましょうね! マジで寒いけど!!
と、そんなことを思いながら、コロナの影響を受けつつも「休みが明けたら、また仕事があることが幸せなのだ」と実感する年末年始の余暇となったのでした。

西村優祐

西村 勇祐

出来る限り、運動はしませんが、スキーとバッティングセンターだけは例外としています。