ジブン40年史 - 私の歩み -

ジブン40年史 – 私の歩み – 【5】とあるスーパースターとの出会い

雨森武志

雨森 武志

UPDATE 2019.10.16

前回のサッカーに関する話で、多少前後してしまうが、1993年に私は中学校へと上がった。通っていたのは、箕面市立第2中学校。家からすぐ近くにあった。前々回に紹介した、小学校時代の友人、はらやんもカドも一緒。そこで非常に濃密な3年間を過ごすことになる。そして、1人のスーパースターに出会った。

憧れの存在が変えてくれた、人生の方向

中学1年生の時、理由は分からないが、私はグレていた。恥ずかしいので、詳細は書かない。ただ、母親と一緒に夜に学校に呼び出され、先生にボコボコに殴られる(そういう時代でした……)、なんてこともあった。先生に殴られた数十分後、家に帰る途中で、母親からも「あんた、お母さんにも殴らせて」と、首元をつかまれたまま、何発も殴られた。母が私に手をあげたのは、このときが最初で最後。その衝撃で、学生服のボタンがとれてしまい、翌朝、早めに家を出て探しにいったのを覚えている。

その日、家に帰ると、母親はお風呂に浸かりながら、泣いていた。隣接する洗面所から、そのすすり泣く声を聞いた時に、「このままではアカン」と感じ、くだらないツッパリ方はやめようと心に誓った。

中学2年生の時には、その後の人生を大きく左右する出会いが訪れる。同じクラスになった埋橋幸広くん、通称「ユキ」。彼は、小学生の時にオーストラリアに留学をしていたこともあり、英語が堪能で、考え方や発言など、周りの友達とはまったく違っていた。洋楽に詳しく、趣味はギターと絵を描くこと。いつもカバンの中にアメリカのハードロックバンドのCDを数枚いれていて、ノートや机、教室の壁などに、それらのバンドのロゴマークの絵を上手に描いていた。

真ん中で帽子をかぶっているのが、筆者。時代なのか……、ダサい! その左が今回の主人公、ユキ。左端がカド。

とにかくユキはカッコよかった。同じ中学の男子生徒、みんなが憧れていたと思う。こんなことがあった。その日、私やユキは、何人かで授業をサボり、空き教室に忍び込んでいた。するとユキが、みんなに言う。「足でドン、ドンと2回。手拍子でパンと1回。ドン、ドン、パン。ドン、ドン、パン……。こうやってリズムを刻んでくれ」。目的は分からなかったが、ユキが言うように、みんなで手足をつかい、音を出した。するとユキは、それに合わせて、ものすごいボリュームで歌い出した。「Buddy you’re a boy make a big noise……」。そう。クイーンの名曲、「We Will Rock You」である。ユキは、まるでそこがライブのステージに見えるほどに、全身で大きなアクションをとりながら、本気で歌っていた。しかし、授業中だ。すぐに教師が飛んできて、大目玉をくらったのは言うまでもない。ユキは笑っていた。

思い出せるエピソードはたくさんある。中学3年の時、美術系の高校を志望していたユキは、受験のために作品を提出する必要があったらしく、自分の身体を真っ白に塗り、自由にポーズをとり、セルフタイマーで撮影し、それを送ったと話していた。なにせこっちは、普通に国語や数学などを勉強をしている身。やっていることのレベルが違いすぎて、「撮影のアングルがうまく調節できず、何冊も本を重ねてカメラを置いた」なんて話している彼を、ただただ呆然と見ているしかなかった。

さらにもう一つ。中学校の卒業文集のユキの原稿も、いつまでも私の頭に残っている。多くの生徒が中学校生活の思い出や、将来の夢について書いていた。私も、「バンドで成功したい」という、いま思うと稚拙な文章を残している。ユキも同じように、将来のことを綴っていたのだが、切り口はまったく違った。その内容は、「海外で、ガラス屋さんを営んでいる」「芝生の庭があり、そこでリスを飼っている」と、将来の自分の生活を空想したもの。もしかしたら、小学校の時の留学先の景色を重ねていたのかもしれない。そしてその文章は「ある時、人が訪ねてきた。中学校の時の同級生だった。涙が出てきた。日本人としての誇りを感じた」といった風に締められている。つまり未来のことを語っている文章なのに、「涙が出てきた」とか「誇りを感じた」など、時制が過去形だったのだ。その事実が、当時の私にとって非常に新鮮で、いまでも強烈に記憶に残っている。

それぞれ違う高校に上がった後も、同じ電車で一緒に通学する時期があった。高校生になったユキは「もっと自分を表現しないとアカン」みたいなことを話し、「いまは自主映画をつくっている」なんてことを言っていた。ちなみに彼は、京都精華大学の造形学部を卒業し、ミツバチをモチーフにした作品をつくったり、ヨットで太平洋を横断したり、さまざまに活躍の場を広げ、いまはオーストラリアでハチミツをつくりながら、アーティストとしての活動もしているらしい()。もう交流はないが、ずっとユキはユキのままで、カッコいい。

実は25歳の時、ある場所で私は偶然ユキと再開し、ちょっとした一言をかけられる。それが私に大きな影響を与えるのだが、それもまた後の話。

もう10年以上前の動画ですが、落ちているのを見つけました。

さて、確か中学2年生の6月くらいだっただろうか。同じクラスになってすぐに仲良くなったユキが、「一人でギターを弾くだけじゃなくて、そろそろバンドをやりたい。ただドラムだけがおらんから、あめやん、やってみない?」と声をかけてくれた。すぐに首を縦にふった。教室の大きな窓から、強い日差しが差し込む中で交わされたその会話が、サッカーだけに打ち込んでいた私の人生を、また少し変えた。

(つづく)

Editor’sNote

雨森武志

雨森 武志

言わずもがな、日経新聞で展開されている「私の履歴書」を模して、さらに「交遊抄」のニュアンスを足したコンテンツです。日経と同じく全30回を予定しています。

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書

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レビュー

本田は「私の履歴書」でこう述べている。「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である」 自動車修理工から身を起こし、一代で巨大自動車メーカーを築き上げ、「HONDA」ブランドを世界にとどろかせた希有の成功が1%でしかないならば、残りの99%はなんなのか。本田の言葉をたどると、失敗した99%にこそ、たぐい稀な人間ドラマが見つけられる。

参照元 https://www.amazon.co.jp/

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