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【月刊ニシ】2021年6月「祝・三十路。10年間で何が変わった?」

西村優祐

西村 勇祐

UPDATE 2021.06.10

6月2日で30歳になりました。こんにちは、西村です。
二十歳になる年に働き始めたので、社会人も10年目。”10年ひと昔”なんて言いますから、なかなか長い年月を過ごしてきたように思います。

キリのいい年に、たまたまこういったコラムを残せる立場にあるので、20代の振り返りとこれからについて書いてみました。

ちなみに6月には新垣結衣や長澤まさみ、波瑠、相武紗季、広瀬すず、本田翼、芦田愛菜、麻生久美子、沢口靖子など、錚々たる女優陣が生まれています。
そんな中、2日生まれだったのはピース・又吉直樹と平泉成でした。

20歳から29歳まで振り返り!

自分で言うのもなんですが、この10年間は仕事もプライベートも充実していました。

20歳:専門学校を卒業。雨森とconsciousのメンバーに出会う。

唯一の友人だった髙木くんと別々のクラスになってからは、淡白な学生生活でした。
2年生になって早々にインターンで音楽事務所に入り、そのまま就職。

一方で講師として働きはじめた弊社代表の雨森と出会ったのものこの頃。
以降はよく遊びに連れ出してもらうようになります。
人付き合いが少ない僕にとって、 30代の主なサンプルは雨森や、雨森を中心に結成された「conscious」と呼ばれるクリエイターたちが集まるチームのメンバーたち。彼らは仕事仲間であり、かつ遊び仲間でもありました。

大阪でのイベントのお手伝いしました。このときから「顔が溶けてる」と言われるようになります。

21歳〜24歳:社会人スタート。念願だった音楽業界で働く。

前の年から働いていたので「新社会人スタート!」みたいな気分は味わいませんでした。
このときに勤めていた会社は、僕以外が全員女性です。
男がひとりだから窮屈だったという印象はなく、むしろ若造だった僕を丁寧に教育してくれました。
スキル的なものではなく、主に精神面や礼儀、気配りなどを鍛えられたと思っています。

幼馴染が東京まで押しかけてきて、いきなりディズニーランドに連れ出されました。

プライベートでは相変わらず先輩たちと遊んでいました。
はじめてデリバリーピザを頼んだのも、誕生日会をしたのも、キャンプをしたのも、この時期です。
2014年の誕生月には、人生で初めてのサプライズをしてもらいました。
が、驚きはしたものの、驚き方がわからず、変な空気になったのもいい思い出です。

プロレスラーの秋山準と金丸義信と西村。割と自慢の一枚。

この時期は割と野球観戦にはまっていて、いろんな人と神宮球場に行っています。
またコロナが落ち着いたら観にいきたいですね。

ブラジルU-12の選手団と外野席で一緒になったこともあります。iPhoneでポルトガル語を翻訳しながら仲良くなって、ポテトをおごりました。

24歳〜25歳:地元長野に帰る。出版社時代。

学生時代から4年弱勤めた会社を退職し、地元である長野の出版社に転職します。
労働環境も給与も超低水準で、わかりやすいブラック企業でした。
営業をして、提案して、取材と撮影をして、ページをつくって……。
締切と数字に追われていて、あまり寝ていなかったですね。
営業車にはクリーニングしたスーツとシャツが2着、常に保管されていました。

クライアントと一緒にガチンコの山に入り『根曲竹』というタケノコを取るという、エクストリーム営業もしました。

そんな日々でも苦労を感じなかったのは、クライアントと同僚の存在が大きかったと思います。
情報誌ってその名の通り、めちゃくちゃいろいろな案件があるんですよね。
規模も行政から個人商店のようなところまで。
ジャンルは飲食系から工業系、宿泊施設、スキー場、アパレルなど多岐に渡りました。
1年半ほどでしたが、破天荒で楽しい毎日を過ごしていたなと思います。

赤いカーディガンのパーマ野郎が西村。こんなふざけた見た目で営業してました。

26歳:2度目の上京。雨森のアシスタントに。

このあたりの情報は過去の『月刊ニシ』をご覧ください。
長野に帰ることが決まったとき、雨森を中心とした先輩や友人たちから冊子をもらったんです。
そこで雨森はこのようにメッセージを残してくれています。

長い間、おっさん達といつも遊んでくれて本当にありがとう。(中略)また戻ってきて、次は仕事でも一緒にやれるといいなと思っています

有言実行。
そこからは変わらず、アイタイスの一員として働き続けています。

「すべては、ここからはじまった」感ありますね。

プライベートでは結婚という大きな出来事がありました。
コロナウイルスの影響で結婚式はできませんでしたが、仕事で知り合った方々のおかげでパーティーを開催。
その中でサプライズをしていただいたのですが、うまく驚くことができませんでした。
そこは20代前半から変わっていないみたいです。

東京・浅草は人情にあふれてました。このとき履いている革靴も浅草で買ったもの。

いろいろ考えるけれど、仕事を頑張るに行き着く。

さてつづいては、これからについて考えてみます。
(※内容に紐づく画像がないので、撮り下ろしてきました。特に意味はありません)

【仕事編】<アイタイス印の仕事を増やす>

30歳〜32歳までに実現しておきたいのは、これ。

現状では個別のスキルだけを使う仕事が多いです。
取材をして原稿を書く、または撮影をして現像をするだけで完結するもの。
そういった案件が悪いわけではないですが、やはりアイタイスとして仕事を受け、完結させたいと思っています。

それを実現するためには、まだまだ僕自身のスキルを磨かなくてはなりません。
なので「コピーライター」としての仕事も、「カメラマン」としての仕事も非常に重要だしありがたいんです。

一方で以前のメルマガで雨森も書いていましたが、我々は「コピーライター屋」でも「カメラマン屋」でもありません。
クライアントと相対して一気通貫のプロジェクトを手がけることが本望です。
そしてそれこそが、アイタイスの実力を発揮できる状態だと思っています。

要は下請け案件と直案件のバランスを逆転し、我々が担えるフェーズはすべて担いたいということです。
結局の所、コピーライティングにしろ、撮影にしろ、個別で完結するような仕事はアイタイスの一員である実感は薄いまま。
32歳になった頃には、このサイトのWORKSをべらぼうに増やしておきたいですね。

最近はもっぱら散歩ばかり。毎回、距離が伸びているのが、ちょっと気がかりではあります。

【仕事編】<領域を横断したい>

先の話とも近いのですが、こちらは割と個人的な目標です。
というのも僕は「ディレクター」「コピーライター」「カメラマン」の3つの肩書を持っています。
30年間で、この職種をかけ合わせている人にまだ出会ったことがありません。

アイタイスに入社して間もない頃、何気ない会話の中で雨森から「せっかくなら全部をやったらいい」と言われて走り続けています。
ディレクションとコピーライティングは雨森から学びましたし、カメラは独学と先輩に教えてもらうことで何とか乗り越えてきました。

結果を言えば、全部やったのは正解だったと思います。
一人三役みたいな状態なので、単純に制作を進めるときに「分かる」ことが多いんですよね。
ワイヤーフレームをつくりながら「ここにはこんな写真だな」と明確にイメージできるだけでなく、実際に撮影可能なのかまで判断できます。
コピーライティングもしかり。知っているだけではなくて、自分でできるからこそ分かることがたくさんあるわけです。

とはいえこの三足のわらじ状態は、諸刃の剣ではあります。
特に新規のクライアントの場合は「おいおい、全部中途半端じゃ困るぜ」となるのは自然の流れです。
それを説得するためにはやはり実績でしょう。
自分のポートフォリオにwebや紙のディレクションもコピーライティングも、写真も載せられるのが理想。

アイタイスのオフィスにつづく階段は、絶妙に幅が狭いです。荷物を降ろすときに絶対にこする。

【私生活編】<お金に余裕を持つ>

30年間、貯金をすることなく、生きてきました。
いろいろな人に迷惑をかけたけど、死ぬことなく今日を迎えることができています。

お金の話なると、最終的に「仕事を頑張る」ってことになるのですが、それは大前提として……。

特別、贅沢をして過ごしたいとか、もっといい家に住みたいとか、車がほしいとか、そういう高望みはしません(笑)
妻と旅行をしたり、記念日には外食をしたり、ちょっとしたことを“お財布に余裕がある状態”で叶えていきたいと思います。

目黒通りにある照明の専門店。夜でも明かりが灯っていて、そこだけ別世界の雰囲気を出しています。

そのためにもお金の使い方にマイルールを設けるつもりです。
たぶん普通の人なら当たり前すぎるので、お恥ずかしいのですが……。

マイルール1:「仕事のため」を理由に買い物をしない
これは僕の悪いクセなのですが、主に撮影機材を自分で買ってしまいます。
なぜ購入するかというと、所持する機材ではできない仕事があったからです。

逆を言うと、そうやって機材を買い揃えてきたおかげで、だいたいの撮影には困らないようになりました。
なので今後、今ある機材でできない撮影があったら、先輩カメラマンにお願いするか、お断りするかの二択です。

マイルール2:月々自分に使う金額を決める
ゲームを買うとか、美容室に行く、洋服を買うなどは決められた金額の範囲で行います。

世の中の人たちは割と普通にやっているみたいですけど、尋常じゃないくらい難しいことじゃないでしょうか(笑)
自制心が半端じゃない。

ルールとしては、いささかハードルが髙いですが、頑張ってみようと思います。

マイルール3:使うときはガッツリ使う
矛盾していると思うかもしれませんが、そんなことはありません。
20代は自分に使っていましたが、これからは主に妻(や家族)にお金をしっかりと使いたいと思います。

結局、お金なんて紙切れですからね。みんなで経済、回していきましょう。

通勤のときに風景。五反田って微妙に未開発のエリアがあって、いい味出しています。

サンプルが少なすぎる問題(今回のまとめ)

30歳になった途端に何かが変わるわけでもないです。
ただ今になって思うのは、同世代の友人は絶対にいた方が良いということ。
僕の中での貴重な「30代 男性」のサンプルである雨森は当時から友達に囲まれて楽しそうにしていました。

25歳くらいから薄々勘付いてはいたんです。
「このままだと遊んでくれる人いなくなるな」と。

30歳になってから、新しく友人をつくるのって厳しいかな……。
でも、それほど仲良くなかった同世代に「久しぶり! 元気!?」みたなことしたら、宗教の勧誘だと思われそうだし……。

これ成人式の写真なんですけど、こういう日ってだいたい何人かで撮りませんか? こんなことなるなら欠席した方がまだよかったのでは。

もしこのこのコラムを読んでいる人の中に、20代前半で、普段は先輩としか遊ばないという人がいたら気をつけてください。
今のうちに、同じ年の友達を見つけておきましょう。

ではまた来月!

西村優祐

西村 勇祐

この部分のテキストはフォーマットのものでOKということに気がつきました。今さらフォーマットにするのも恥ずかしいので、これからも何かしら書こうと思います。次にこのコラムが更新されるころには30歳です。