社長コラム

【月刊あめのもり】2023年8月「必要ないとは言わせない。だって僕自身なんだもん!」

雨森武志

雨森 武志

UPDATE 2023.08.31

みなさん、こんにちは。雨森です。

先週、少し遅めのお盆休みをいただき、大阪に帰省したタイミングで、実家のすぐ近くに住んでいる甥っ子の吹奏楽部のコンサートを見に行ったというのは、先ほど配信されたメルマガでも書いた話。

その時に久しぶりに思い出したのですが、僕はずっと昔から「指揮者って必要なの?」という疑問を持っていました。これもメルマガに書きましたが、バンドのライブに指揮者はいません。それはビートルズだろうが、サザンだろうが、どれだけ偉大なバンドでも同じです。

そもそもオーケストラや吹奏楽の演奏者の前には、バンドマンと違って、楽譜が用意されています。そこには音階やリズムを示す音符や休符が書かれているだけでなく、テンポ(速さ)も書いてあるし、さらに「なめらかに」とか「力強く」など、定性的な情報も記載されているはずです。

「え、この期に及んで、指揮者、いる?」と思うのが普通じゃないですか? バンドと同じように、始まりのカウントだけ、誰かが「ワン、ツー、スリー、フォー!」って言えば、あとは指揮者がいなくても演奏できるんじゃない? って思っていました。

指揮者が必要だと思う理由

ひとつ考えられるのは、テンポをキープする役割です。つまりメトロノーム代わりですね。バンド経験者は「クリック」と呼んでいるアレです。カッチ、カッチ、カッチ……、もしくはピッ、ピッ、ピッ……と、一定のテンポで音が鳴るやつ。

お家にピアノがあった人は、その上にこんなの、ありましたよね?

経験したことがないので、はっきりとは分かりませんが、オーケストラや吹奏楽は、いわゆるロックバンドなどのライブと違って、モニター(自分たちの音を聞くためのスピーカー。バンドマンは「返し」と読んでいるアレ)がないので、自分が奏でている音、そして自分以外の楽器の音が聞こえにくいのかもしれません。となると、自分の演奏が、他の楽器と比べて、また求められているテンポより速いのか、遅いのかが分からない。だから指揮者の手の動きを見ながら、リズムを確認しているのかもしれません。

しかもテクノやハウスのような、“生の楽器”ではなくコンピューターをメインに使ってつくられた音楽と違って、常に寸分狂わず、一定のリズムを刻むことが正しいわけでもないのがオーケストラの演奏。曲の流れの中で、全員がそろって速くなったり、遅くなったりするために、指揮者は必ず必要でしょう。

さらにバンドのライブと違って、ほとんどの楽器が着席スタイルなので、前(観客側)しか見れないというのも関係しているのかもしれませんね。

確かに前の方に座っている弦楽器の人たちが、演奏中にちらっと後ろを振り返る、みたいな光景は見たことがないですね。

じゃあなぜ、同じように全員のテンポを合わせた方がいいバンドには指揮者が必要ないのかという疑問もわいてきます。

その答えはけっこう簡単で、まず前提として人数が圧倒的に少ないので、たとえ誰かひとりのテンポが狂ってもリカバリーが容易だという点。また基本的にはドラムがリズムを牽引するので、それに合わせればよいということ。さらに前述の通り、それぞれのメンバーのすぐ横にモニターがあるので、他の人の音も基本的には聞こえます。だからなんとかなるっていうのが僕が思うところです。

誰の功績なのか問題

少し話はズレますが、例えばサザン・オールスターズのライブに行って、そのステージが感動するほどよかったとします。その時に観客はどう思うでしょう。

多くの人はおそらく「いや〜、やっぱりサザンは最高だなぁ!」といった感想を抱くでしょう。中には「やっぱり桑田佳祐はすげぇな!」と、中心メンバーであり作詞作曲を手がける桑田佳祐の手腕を称えるかもしれません。

いっぽう、同じ例をオーケストラに当てはめるとどうでしょう。僕はその界隈にぜんぜん詳しくないので、知っている名前で適当な例を出しますが、東京フィルハーモニー交響楽団にゲスト指揮者として呼ばれた小澤征爾がタクトを振り、ベートーベンの「第九」を演奏したとします。それが素晴らしい出来だった時に、誰の功績になるのでしょう。もともとの曲をつくり、楽譜を残したベートーベンでしょうか。もしくはその楽譜をもとに実際に音を奏でた東京フィルのメンバーでしょうか。はたまたタクトを振りつづけた小澤征爾でしょうか。

やはり指揮者といえばこの人……しか思い浮かばなかった……。世界のOZAWAです。

この場合、まったく詳しくない僕が知っている限りだと、意外と小澤征爾、つまり指揮者の功績になるんですよね。好きな人からすると「今日は〇〇(←指揮者の名前)が振るらしいよ! 絶対に観に行かないと!!」ってな感じでテンションが上がるそうです。

え、なんで? それ、どういう楽しみ方??

……と、やはり僕は思ってしまいます。

ポイントは“解釈”

ということで、ここまでどちらかと言うと、「指揮者」というものに対して少しネガティブな感じで話を進めてきましたが、本当のところを言うと、その存在や役割に否定的なわけではありません。そもそも指揮者は、我々のようなクリエイティブの世界で言うと、ディレクターに当たり、つまり僕の役割です。さすがに否定できません。だって自分なんだから。

あくまで素人の考察なのですが、オーケストラにおける指揮者の仕事のポイントとなるのは、“解釈”という概念かもしれません。つまり、すでに出来上がっている“揺るがぬ指針”である楽譜を、どのように解釈し、実際の表現へとつなげていくか。そこを自分なりに読み解き、定義づけ、表現を担うメンバーに指し示し、ブレることなく牽引していくのが、指揮者の仕事なのかもしれません。

確かに楽譜が“揺るがぬ指針”だと言っても、つまりは五線譜にオタマジャクシと、その他の記号が並んでいるだけの資料です。そこには絶対に解釈の余地があって、「読み解き方によっては、いかようにでも理解できるもの」ということは素人の僕にも分かります。

解釈の余地が一切なければ、学生がやろうが、プロがやろうが、誰がどんな条件で演奏しても、毎回がまったく同じ、コンピューターが鳴らすような無味無臭な音になります。それだと、オーケストラの観客が期待するような芸術性は生み出されないでしょう。

メルマガにも書いたロックバンドとオーケストラのコラボの例。当然ここには指揮者がいます。

この辺の考え方は、もしかしたら『古典落語』にも少し似ているかもしれません。『寿限無』や『まんじゅうこわい』『芝浜』といった、詳しくない僕でも知っているようなクラシック中のクラシックでも、それを噺す落語家さんによって、表現はまったく異なります。つまり、ベースとなるストーリーをどのように解釈するかで、クリエイティブの部分は大きく変わるということです。

もうひとつ違う例を出すと、家を建てる際の現場監督も、同じ役割を担っているのかもしれません。楽譜と同じく、建築士や設計士がつくった設計図には、絶対に解釈の余地が残っているはず。それを読み解き、現場で施工を行う大工さんたちに伝え、家を建てるという(言わばこれもひとつの“表現”)を遂行しなければいけません。

「楽譜と熟練の演奏者、そしてある程度のリハーサル時間があれば、指揮者はいらないでしょ?」と考えるのは、たくさんの大工さんの前に、1枚の設計図をポーンと出して、「じゃあ、これで家を建ててね」と言っているのと同じようなこと。おそらく腕のいい人たちが集まっていれば建てられないことはないけど、いい仕上がりにならないのは言わずもがなです。「え、この設計図のここのしつらえ、どうするの? いかにようにでも解釈できるけど……」みたいなことが多発することは容易に想像できますね。

ひるがえって我々の仕事で考えると……

僕はクリエイティブディレクターなので、普段の仕事においては『楽譜を作る側』を担っています。同時にコピーライターでもあるので、演奏者でもありますけどね。

僕がつくる楽譜(=Webサイトにおけるワイヤーフレームや、グラフィックにおける構成)には、たっぷりと解釈の余地を残します。そういう意味では、「自分なりに解釈し、表現へとつなげる」というオーケストラだと指揮者が担っている部分を、演奏者、つまりデザイナーやライター、カメラマンに担ってもらっています。

しかしながら、それぞれにその解釈がブレると、いい結果が得られないので、自由に読み解いてもらいながらも、根底の部分は、指揮者である僕が指し示して、ブレないように調整を行わなければなりません。

上で書いた「腕のいい人たちが集まっていれば、建てられないことはないけど、いい仕上がりにならない」っていうのは、我々の業界で見られるよくないあるあるですよね。それなりにできるクリエイターが集まっていれば、ディレクターがきちんと牽引しなくても、それなりの仕上がりにはなるっていう。でも芯は食ってない、みたいな。

そしてさらに、上で「根底の部分」と呼んだもの。それはイコール『クライアントのビジネスゴール』だと定義づけられるかもしれません。解釈の根底には、それがある。そこだけは死守してもらった上で、それぞれの演奏者が最適なものを作り出すために、自由に表現してもらって大丈夫。うまく説明できているか分からないですが、そんな感じで日々の仕事を進めています。

はい、今日はここまで。

実は今日の話、もうちょっと先の部分があったのですが、時間がないので、ここまでにします。

かいつまんで話すと、我々の仕事において、演奏者(デザイナーやコピーライター)が、指揮者(ディレクター)からもらった楽譜を自分なりに解釈して、よい表現にするためには、「お客さんを見る必要がある」という話につなげたかったんですよね。

ここの考え方は、けっこう指揮者(=ディレクター)によって分かれるところだと思います。つまり「指揮者である俺をみて、演奏しなさい。観客のことなんか気にしなくていい」という人(=ディレクターである俺の指示に従えば、それでいい。クライアントのことは気にするなという人)もいれば、「いちばん大切なのは観客なので、そちらも意識しなさい」という人(場合によっては、俺の指示を超えて、最適だと思う表現をしなさいという人)もいる。

どちらが正しいというわけではなくて云々……という話までもっていければと思っていたのですが、体力的にたどり着かなかったので、これは今日の12:30から行うインスタライブでやりましょう。お昼休憩のお供に、ぜひご覧になってください!


本日12:30より生放送!

ではまた。

Editor’sNote

雨森武志

雨森 武志

五反田に小さなオフィスを構えるブランディング&クリエイティブカンパニー、アイタイスの代表です。

古典落語名作選 大全集

21,812(税込)

レビュー

滑稽噺に笑わされ、人情噺にほろりとさせられ、人生の機微をうがち、古き良き時代の情緒を今に伝える笑いの古典“落語”。脈々と受け継がれる古典落語の名作を、五代目古今亭志ん生や五代目古今亭今輔など、数々の一流演者の芸で堪能できるBOX版。