こんにちは。アイタイスの西村です。
月に1本、自由なテーマでコラムを書くことになりました。「フリーテーマ」が一番むずい!
日々を漠然と生きている証拠でしょう。
本来であれば、この1ヶ月間の出来事を書くのですが、初回ということもあるので、ちょっと過去のお話を。
早10年。
僕がアイタイスの社長・雨森と出会ったのは、もう約10年も前のことです。
ESP学園という音楽系専門学校の学生で、19歳でした。
いろいろなジャンルを学べる『選択授業』という科目があり、月替りで授業を選択することができます。(いまは知りませんが)
あまり覚えていませんが、僕は、英語だったりギターだったりを選んでいました。
あるとき、クラスメイトが「パソコンの選択授業が面白い」と教えてくれたんです。
正直、「ぜったいに、嘘だ」と思いました。でも、どうせ1ヶ月なので、取ってみたんですよね。
その授業で教鞭をとっていたのが、雨森“先生”でした。
僕が雨森さんのことを、「社長」でも「雨森さん」でもなく、「先生」と呼ぶのは、リアルに先生と学生の間柄だからなんですよ。
30歳という年齢は、学園内の講師の中でも圧倒的に若かったはずです。
ゴリゴリの大阪弁で、一回りも年下の若者たちをいじり倒すスタイルは、学生に大人気でした。
(令和にやったら、たぶん怒られるレベルでいじってた)
授業内容は毎回同じなのに、何ヶ月も連続して受講する学生もいたほどです。
でも実は、僕、先生の授業は数回しか受けていません。
記憶が正しければ、教えてもらったのは「ブラウザを開いた状態で、コマンド+Dを押すと、ブックマークができる」とかでした。(実際はもっとちゃんとした内容だったのかな……)
先生の目に、僕がどう映っていたのかはわかりませんが、ある日突然、飲み会に誘われたんです。(学校の規則ではNGですが、もう昔の話なので)
「友人が集まる飲み会があるから、くる?」的な、すごく軽い感じでメールきました。
ビビリにビビった挙げ句、「いきます!」と返事をしたんです。
今思えば、それが人生のターニングポイントだったかもしません。
その日を境に、在学中も、そして学校を卒業してからも、頻繁に遊びに連れて行ってもらうようになりました。
飲み会も、キャンプも、大阪のイベントのお手伝いにも。
先生のお友達の誕生日があるときは、飲み会を開くために、店の予約をよく任されていた気がします。
月日は流れて2015年。24歳なった直後くらいに、僕は地元・長野の出版に転職することになりました。
帰郷の前には、たくさんの人を集めて送別会も開催してもらったのは、いい思い出です。
その際につくってくれたのが、僕を特集した内容の小冊子。中には、いろいろな方からのメッセージなどが満載でした。
僕は感情の起伏がない方なので、涙は出ませんしたが、感動しましたね。
ただ、そこに1枚のDVDがついてたんですよ。
「辛いときに観てね」的なものだったので、すぐには観なかったんですよ。
さらに月日は流れて、2016年7月。
先生からラインがきました。
ここで3番を選んでよかったなと思います。何も考えずに選んだつもりでしたが、その後のやり取りを読み返すと、結構悩んでたっぽいです(笑)
ただ、結局、僕が前の会社を退職するまでに数ヶ月はかかって、2017年1月から、先生の部下となります。
そして再び上京する数日前に、荷物をまとめていて、気がついたんですよ。
「辛いときに観てね」のDVDの存在に。
辛くはないけど、観るじゃないですか。
そこには……
「長野に帰ってもがんばれ!」
「寂しくなるな……」
「ニシくんなら、大丈夫!」
「いつか、また帰ってこいよ」
など、それまでお世話になっていた方々から、地元でも精進するよう激励のメッセージが収録されていたんです。
もう、申し訳なさで、上京するのをやめようかと思いました。東京に戻れることになったので『もどってこいよ』という思いには応えられたのですが……。
そして、なんだかんだで、今に至るのですが、もう4年目なんですね……。
あのとき、先生が僕に声をかけてくれていなかったら、きっと、もっと平凡な人生だった気がします。
それに、あのタイミングで呼び戻してくれていなかったら、結婚も出来ていなかったでしょうから。
もう、それだけで、感謝感激なわけです。
当時の状況や心境をちょっと思い出して、改めて頑張らねばと思います。
なんせ、社員番号「001」ですからね。たぶん、人生で最初で最後。大切にしたいです。
では、また来月!