目次

UPDATE 2019.12.16@Gotanda

Vol.01

マイメンときどき、マイガール

Vol.01 いるかM.B.A.
代表 田中裕久氏

アイタイスの社長、雨森が、自身の友人の中で、自分らしさを失わずに生きている人や、クセの強〜いお仕事をしている人などをピックアップしてお話を聞く「マイメンときどき、マイガール」。1回目は「日本全国にマンガ塾を200校つくる!」という他では聞いたことのない志を掲げて、マンガを教えている『いるかM.B.A』の田中さんです。

収録日 : 2019.10.18

対談メンバー

雨森武志
株式会社アイタイス 代表取締役

田中さんは10分に1回くらい
「じゃあ、こういうのはどうですか?」と口にする
超絶的なアイデアマン。
新しい発想がドボドボと溢れ出す、
その源を探りたい!

田中裕久
いるかM.B.A. 代表

チェック用の原稿を見て、
「こりゃ、マンガ業界に全方向に
喧嘩を売っているな」と
青ざめたわけですが。
まあ、いいや。オレは海賊王になる、
と思った次第です。
偉い人、怒らないでください。

はじめに

田中さんは、日本ではじめて「マンガの塾」を作った、日本のマンガ教育の第一人者。それまで編集者の“勘”に頼ることが多かったマンガの書き方を体系立ててメソッド化したすごい人。

これまで「マンガの描き方」に関する本を4冊執筆しており、海外でも販売されている。

中国やサウジアラビアなど、アジア各国の教育機関に幾度となく呼ばれ、独自のマンガメソッドを教えている。

上智大学の大学院で「俳句」の研究を専攻した後、マンガ教育の道へと進んだ異色の経歴の持ち主。

現在はコンテンツ制作を手がける企業と手を組んで、オンラインマンガアプリに次々とヒット作を送り込むなど、「教育」に加えて「編集」の分野でも大活躍している。

また、「マンガドリルアプリ」をリリースするなど、マンガ文化の普及に向けて精力的に活動している。

現在、雨森と他数人で1つのチームを組み、オンラインでマンガの通信教育が受けられるサービスや、日本の編集者と海外のマンガ家をマッチングさせるサービスの構築を軸としたプロジェクトを進めている。

テーマ1『俳句からマンガへ。そして日本初の塾開校へ。』

わりと変わった経歴をお持ちですよね? マンガ教育とマンガ編集を行う今に至るまで、ウネウネと(笑)
そうですね。まず僕は大学院で俳句の研究の真似事をしていたんですね。主に扱っていたのは、与謝蕪村の句。でも蕪村の有名な句って、明治、大正、そして昭和の初期でほぼ語り尽くされていて、僕たち新人にできることは本当に限られていた。それは、昔の学者たちが旨味を感じなかったような失敗作を掘り出して、「実は、この句は、中国の『◯◯◯◯』という詩に典拠がある!」みたいなこを証明するだけっていう……。
つまり、研究のための研究、みたいな。
そうそう(笑)。そんなことをやりながら、いつかは僕が通っていた上智大学の教授にでもなれたらいいかなって考えていました。でも修士2年生の時に、その当時、結婚まで考えていた彼女に突然振られちゃって。僕、その女の子に100%自分を預けていたんですよね(笑)。その時に思い描いていた人生プランみたいなものが、すべて壊れちゃって。図書館に毎日かよって、誰とも会話をせずに、ひたすら江戸時代の書をめくる、みたいな生活でしょ? 「俺の人生、これでいいのかな……」みたいな(笑)。それで大学院を辞めちゃったんですよね。
あ、田中さん、大学院は卒業していないんですね。知らなかった! じゃあそこから就職活動ですか?
うん。いくつか出版社を受けたんですけど、どれもダメで。博士課程までいっていたこともあって、まず年齢的に難しかったんですよね。わりと途方に暮れてたんだけど、たまたま見た求人情報誌で「マンガの専門学校で、文学や文章表現、文法などを教える」っていうを見つけたの。
おお、それは田中さんにはバッチリですね。
そうなんです。無事にそこで働くことになりました。でもね、いちばん初めの『文学』の授業で、森鴎外を扱うためにカリキュラムをつくったんだけど、みんなポカーンとしてて……。そこで僕は生徒たちに「学校からこれを教えてくれって言われたから、このテキストをつくってきたんだけど、みんな興味ある?」って聞いてみた。するとみんなが首を横に振るんです。「じゃあ何をやりたいの?」って聞くと『ワンピース』とか『NANA』みたいなマンガ作品をつくりたいって。

今回の対談は、五反田にあるアイタイス事務所で。

「自分らしさの出る衣装で」とお願いしたところ、この出で立ち。実にパンキッシュ!!
ちなみに田中さん自身は、小さな頃から、わりとどっぷりとマンガに親しんできた方なんですか?
いやいや、それが全然なの。例えば『稲中卓球部』なんかは面白いなと思って読んでいたかな。でもいわゆるコアなマンガファンではなかったですね。だから講師になった時点では、僕にとってのマンガって、“教材”ではなく、“研究対象”。生徒たちに「君たちが描きたい作品を持ってきてくれ。先生が分析するから」と伝えて、出てきたものを片っ端から読んでいきました。
なるほど。大学院の頃に俳句を研究していたように、今度はマンガを研究しはじめた。
そう。僕ね、大学院で近世の俳句を勉強していた時に、憧れていた人がいたんです。それは、明治時代に京都大学で教授をしていた潁原退蔵さんっていう人。そもそも俳句は、今でいうマンガとかアニメのように、一般人の娯楽としてあったものなんです。でも誰もそれを研究対象にはしていなかった。そんな中、潁原先生は西洋の文学理論を用いて俳句を紐解いていき、そこに芸術性を見出した人なんです。特に亡くなる3〜5年前あたりに発表した論文のグルーヴ感は、めちゃめちゃかっこいい。
へぇ〜。では俳句の研究時代には、その潁原退蔵という人に憧れていたんですね。
そうなんです。でもね、さっきも言ったように、有名な句はもう答えが出ちゃってるから、僕たちはやることがなくて。潁原先生みたいになりたくても、時代的に“落ち穂拾い”しかできないっていう状況がありました。その後、マンガを教えることになって、生徒たちを相手にしながら「イントロは、こういう風につくった方が、物語の駆動力が上がるよね」とか「ここの部分が、ブリッジになっていて、物語の中盤を盛り上げているよね」っていう風に分析していくでしょ? それをやっているうちに、「ハッ!」と気がついたんです。つまり、マンガのストーリーに関しては、まだ誰もきちんと研究していない分野なんじゃないかなっていう。絵の方は、すでに本もたくさん出版されていたんだけど、ストーリーに関する教本みたいなものも、ほぼなくて。だから「マンガの研究を頑張っていれば、潁原先生みたいになれるんじゃないか」と思い始めて、めちゃめちゃ嬉しかったんです。
確かに。たとえば映画の脚本を学ぶ学校とかはあるのに、マンガの専門学校ってないですよね。特に“作画”と違って、“作話”は、教えられる方法論がなかったっていうことですかね?
うん。まだ誰もそのメソッドを体系立てて説明することをやっていなかった。
つまり、まだ誰もやっていない新しい分野を開拓している感覚があったと。「自分が前人未到の領域をやってるんだ」とか、「体系化されていないところを教えてるんだ」っていう感覚ですね。
それには背景というか理由があって、80〜90年代に、少年マンガが黄金期を迎えるんだけど、当時の編集者やマンガ家が忙しすぎて、自分たちがやっていることを言語化して、誰でも理解できるレベルに噛み砕くっていうことができなかったんですよね。だから、僕はそれを教えようと思って、仕事として5年間やってみた。でもね、雨森さんも専門で講師をやっていたからわかるかも知れないけど、専門学校って、けっこういい加減なところが多いでしょ? 施設面とか、カリキュラムとか。特に当時はそうでした。僕がいま教えている愛媛の専門学校はとてもきちんとしていますけど。
確かに。実際のプロの現場と同じ環境がつくられることは、なかなかないですよね。
うん。1年間で100万くらいの学費をとって、掘っ立て小屋みたいなところに200人くらい詰め込むわけ。地方出身の健気な少年・少女たちが、口の上手い営業にその気にさせられて、代々木で学んでいる姿を見ているとね。僕、すごくかわいそうになっちゃって。「新聞奨学生」っているでしょ? 彼らは朝2時に起きて、4時から朝刊を配って、7時に終わり、シャワーを浴びてから学校に行ってマンガを描く。そして授業が終わったら、すぐにバイトに行って、夕刊を配り、その合間には電話番をして……みたいな生活をしているわけですよ。もうね、見てられない。
しかも、それだけやって、みんながデビューできるならまだしも、ほとんどはそうではないですよね? それは僕が教えていた音楽の専門学校も一緒でした。
そうそう。だから当時の僕は、“怒り”で動いていましたね。つまり、マンガの出版社って、特に80〜90年代に子どもたちのお小遣いの一部をもらうことで、めちゃめちゃ儲かったはずなんです。にも関わらず、その中で得たノウハウを教えることで子どもたちに還元する、といった取り組みをまったくしてこなかった。例えばGペンや原稿用紙の使い方とか、キャラの描き方、目の描き方……そういった基礎の部分を、出版社が安価で教えるべきだろうって思って。それって地方の子どもたちが、東京の寮に入って、1年間100万の授業料を払って教わることじゃないだろうって。そういう怒りですよね。
その怒りを行動力に変えて、自分で学校をつくったんですね。
そうなんです。それが確か2008〜2009年くらいで、僕が32歳の頃かな? 高校の友人と一緒に『いるかM.B.A』という月謝が1万5千円で入会金はなしのマンガ教室を始めました。そうするとね、美大生や大学生、あとは社会人も含めて、ものすごい数の生徒が集まったんですよ。
なるほど。きちんと世の中にニーズがあったんですね。
そうなんです。そこからね、毎週ひたすら新しい授業をやっていったんですけど、それがめちゃめちゃ大変で。月謝制なので、生徒はいつでも辞めれるでしょ? ちょっとでもアホみたいな授業をやると、あっという間に生徒がいなくなっちゃうの。でも、その状況が僕を徹底的に鍛えてくれたんだと思います。利益を重視して効率を考えたり、教室数を増やすことを目的にしたりして「授業は知り合いのマンガ家さんに任せよう」なんてやり方をしていたら、逆にすぐに潰れたと思う。
なるほど。田中さん自身が経営に回ることなく、ずっと黒板の前に立ち、実際に教えていたってことですね。

いつも温厚な田中さん。その語り口もとっても柔らか。

なのに、なぜお前はそんな険しい顔をするんだ!(笑)
田中さんにとって「いいマンガ」の定義ってありますか?
まず1つは90年代の『少年ジャンプ』の作品かな。あそこで描かれていることを、僕たちは『マンガ的嘘』と呼んでいます。よく慣用句的に「こんなマンガみたいな展開見たことない」って言うでしょ? それですね。60年代〜70年代のマンガにつくられた適当な嘘が、一番きれいなカタチで排出できているのが90年代のジャンプ作品なんです。たとえば『北斗の拳』。秘孔をついて「ブシャッ」って……、なるわけないけど、なるかもしれないって思っちゃう(笑)
なるほど。僕が好きだった『キャプテン翼』における数々の必殺技も、できるわけないけど、もしかしたら……って。
そう、それです。立花兄弟の『スカイラブハリケーン』なんて、サッカー少年たちは、みんなそう思って一度は試みたはずです。でね、例えば『聲の形』ってありますよね? あれは本当によい作品なんだけど、「成長」を基軸に進んでいく80〜90年代ジャンプの方法論にのっとって考えると、ありえないコード進行なんです。作品がスタートした状態をゼロとすると、そこからマイナスの方向に進んでいって、コミュニティが壊れる・壊れないのギリギリのラインを進んで、なんとかゼロに戻って終わるっていう。
なるほど。たしかに黄金期の“ジャンプ的”ではないですね。
あれは、日本という国が、この20年間ほど、経済的に一切成長していなくて、ゼロベースで進んでいる空気感や虚無感みたいなものを、子どもたちが体感しているっていう事実を映し出しているんですよね。それが故に、ヒットしたんじゃないかなと思っています。
そもそもマンガには、たくさんのジャンルがありますよね? ラブもあれば、スポーツやエロ、ミステリーもあるし、大人向けの社会派な作品もある。その中で、田中さんの得意ジャンルってあるんですか?
えっとね。つくる面でも読む面でも、僕がいちばん得意なのは、少女マンガかな。ボーイズラブも含めて。っていうのも、文学と文法が似ているんですよね。逆に少年マンガは、文法が文学とはぜんぜん違っていて、読むのもしんどい。だから生徒にもよく「もっと少年マンガもちゃんと読んでください」って怒られますね(笑)
少女マンガと文学が、文法的に似ているっていうのは、具体的にはどういった部分ですか?
やっぱり、「なぜこの人がこの人を好きになったのか」みたいな、コミュニティにおける人間の関係性が細かめに描かれていることが多いですよね。人間の心のヒダの部分が細かい。だから読んでいけますね。でも少年マンガは、そのへんが割とあらっぽいから。でも読者の子どもたちは、そのあらっぽさにワクワクするんだけどね。
では、その中でも「これは少女マンガの金字塔だ」と思うものってありますか?
ありますよ。まず『ハチミツとクローバー』。言わずもがなの人気作品ですよね。大学で、主人公が『はぐちゃん』という女の子を好きになる。登場人物の中には、感情移入しやすい子や、すこし変わっている子が登場して、ずっと面白く読ませてくれます。最後なんか、話しながら泣いちゃいますよね。あとね、『昭和元禄落語心中』もよかった。もともとボーイズラブを描かれてた方の作品で、ものすごい絵が繊細なんですよ。立川談志みたいな豪快な落語家と、京都のはんなりって感じの上品な落語家の2人がライバルとなって進む物語。これもめっちゃ面白いんです。
へぇ〜、それはぜんぜん知らない。気になる!

2018年にNHKでドラマ化された『昭和元禄落語心中』。画像は公式サイトから。
NHKでドラマになりましたよね。あと、すごいなって思った作品は、小学館の『私がモテてどうすんだ』。これがまあなかなか酷い作品で(笑)。オタクの太った女の子が主人公でね。アニメの中のお気に入りキャラクターが死んじゃったことにショックを受けて、1週間ほど布団の中で臥せってたら、劇的に痩せて超美人になるっていう、設定なんですけど。
無理があるな……(笑)
そうそう(笑)。で、もともとその主人公は、かっこいい男の子たちがワイワイしてるのを影から見るのが好きだったの。でも美人になったから、自分がモテはじめちゃって、タイプの違ういろいろな男の子たちが、主人公を取り合うっていう話なんです。それを43歳のオッサンである僕が読んでいるとね「おい、待て! 君に言い寄ってきてる男たちは、お前の外見だけしか見てないぞ!」って、忠告したくなっちゃう。けっきょく2巻まで読んでやめました(笑)
あ、駄目だったんですか(笑)。「面白かった」っていう話だと思っていたのに(笑)

テーマ2『講師として。そして編集者として。』

田中さんには、自身のマンガ塾で10年以上に渡って教えてきた中で体系化されていったメソッドがありますよね。それって、一度つくったら変わらないものなんですか? もしくは、どんどん変わっていくものなんでしょうか。
これが、どんどん変わっていくんですよね。いまだに新しい発見がたくさんあるんですよ。最近も新しい法則を見つけたばかり。だから、今までマンガの描き方に関する教本を4冊出しているんですけど、5冊目にチャレンジしようと思っていて。今回、提唱しようと思っているのは、「感情移入」に関するロジック。
感情移入? それって、ストーリーを構築する上ではわりと基本の部分じゃないですか?
そうなんです。でも最近「感情移入には2種類ある」っていうことに、初めて気づいたんですよね。たとえば、『ワンピース』。シャンクスが腕を食われるシーンがありますよね? あのシーンは、見た瞬間に思考ではなく感覚で気持ちが入る。これを“直感型の感情移入”と呼ぼうかなと。これが1つ目。この直感型だけだと、いわば絵だけで感じさせる“ハッタリ”なんですよね。でもその絵がストーリーでつながっていると、今度は“論理型の感情移入”が起こる。これが大事なんですよね。
伏線となるシーンが、前にあるということですか?
あります。シャンクスは酒場で山賊に頭を叩かれるけど、特に気にすることなく、ヘラヘラ笑っていますよね? これは彼のキャラクターを説明するためのシーンです。で、その後、ルフィが山賊に捕まってやられるシーンがある。そこではシャンクスが出るまでもなく、部下たちが山賊をきれいに撃ち殺しすでしょ?
そうですね。「自分がやられてもヘラヘラ笑ってられるけれど、仲間がやられた時には、ただじゃおかない」と思わせるストーリーですよね。「仲間が大事」っていうのは、ワンピース全体のテーマだから。
うん。尾田栄一郎さんがすごいのは、その上で、例のシャンクスの腕が食われる印象的なシーンを出しているでしょ? これは絵やシーンで感情移入をさせるのに加えて、実は前のストーリーとつなげることで、直感と論理のあわせ技で感情移入させているんです。

ほとんどの名作で、この理論を当てはめることができると田中さんは言います。
なるほど。それらのすべてが意図的かそうでないかは別として、読者が引き込まれる時には、その2つが必要ということですね。
そう思います。古典的な名作って、そこが上手にできているんですよね。他のマンガや映画、小説なんかでも、名作と言われるものは、そこが上手い。『火の鳥』とか『ローマの休日』なんかも、当てはまりますね。
へぇ〜。じゃあ、売れている作品がなぜ売れているのか、逆に売れていない作品がなぜ売れているのかって、田中さんは、すべて説明できるんですか?
えっとね。「いいマンガか、そうでないマンガか」っていうのは、説明できます。あと、マンガ的文法に則っているか、そうではないかも言える。でも売れている・売れていないは、また別なんですよね。例えば、いまオンラインマンガアプリってめちゃめちゃいっぱいあるでしょ? あれの読者層って、10代から20代前半が多くて、まだ物語をたくさん読んだことがない子たちばかり。だから、直感的感情移入が多ければ、それだけである程度売れるんですよ。それはつまり、ホラーやサスペンス、スプリットですよね。したがって1ページ目で血みどろシーンを描いたり、わざと感情移入をさせるコマを置いておいて、そのキャラを唐突に殺したり。びっくりさせるだけで、それなりに売れるから。
なるほど。商業的に狙ってやっているってことですよね。それをつくり手のプライドが許すかっていう問題はありますけど。
そうそう。だから、ヒットを狙って、戦略的にお決まりのパターンをやっているんだと思います。

田中さんの授業を受ければ、誰でもマンガが描けるようになります。
僕もね、ここ最近は編集者として売れる作品を企画しているところ。いま進めているのは、美大が舞台のマンガです。もともとの企画としては、その学校で15世紀くらいの技法を用いて絵を描くっていう、なんの将来性もないような勉強をしている主人公たちと、若い講師がぶつかっていく中で、ラブの要素もある、みたいな作品だったの。でも途中から「いや、これは大学時代のモラトリアムを描くべきだ」って思って、ガラッと作品の中身を変えたんです。まだお酒に慣れていないのに、朝まで飲んで、誰かがずっとトイレで吐いている。9時くらいに起きて、授業にも出ず、駅前の牛丼を食べて、喫茶店でダラダラして……。そんな青春時代のモラトリアムをテーマにしようって。
社会人からすると、とても懐かしい記憶ですよね。
うん。やっぱりオンラインアプリって、通勤電車で読むことが多いでしょ? だったら、満員電車でサラリーマンとかOLさんが「この感じ、あったな」って思えるものにすべきかなと思って。「大学時代のアイツと、ぜんぜん連絡を取ってないな」って思い出して、「今こんなマンガを読んでさ、お前のこと思い出したんだけど」ってLINEをするような作品にしたい。
あ、そうか……。マンガって、なんとなく作家さんのパッションとか着想から生まれるように思っていましたけど、そうじゃなくて、それくらいコンセプチャルにつくられているんですね。ターゲットを決めて、彼らにどういう行動を起こさせたらゴールなのかも設定する。僕たちが広告をつくるのと似ていますね。
うん。最近のマンガはそうやってつくられていると思いますよ。80年代〜90年代の、“荒くれ者”の編集者たちは、何が釣れるか分からないけど、とりあえず海に網を投げ入れる漁をやっていたと思います。でも今って、ほとんどのことをリサーチできるので。大手出版社の人たちも「当時の編集者のすごさは確かにあるけれど、あくまでロジックではなく感覚や勘で勝負していた。今の編集者の方が、技術力は高い」って言っています。その代わり、大ヒットは生まれないですよね。最初から20万部を目標につくったりしているから。アニメ化やゲーム化でマネタイズを狙ってる。
なるほど。きちんとしたマーケティングのもとつくられるから、どれもある程度ヒットするんですね。でも「なんじゃこれ!」っていうような、飛び抜けた作品は生まれにくい環境だと。
その「なんじゃこれ!」っていう作品は、いまは企画会議を通らない。「いま流行っている『○○○○』と同じコンセプトで、舞台を変えてつくっているんです」みたいな説明の方が、上司も理解できるだろうし。
やっぱり、広告系の会社やIT系の会社が、次にどんなサービスをつくるかを話し合っているのと似ていますね。創作活動というよりは、ビジネスライクに進んでいる感覚。
それは僕がいま、商業ベースのマンガアプリで編集業務をしているということもあると思います。そこである程度、結果を出したらね。僕はまた黄金期のジャンプみたいな少年マンガをつくりたいんですよ。荒くれ者のぶっ込み漁と同じことをあえてやりたくて。
戦略だけじゃなくて、つくり手のパッションや感覚の部分をベースにするやり方ですね。でもマンガ家の中には、昔気質の人もいるんですよね? 「売れる・売れないは関係ない!」「お金儲けとは別のところで表現したい」みたいな。もちろん食べていけなかったら、続けていけないけど……。
もちろん。12~3年前の教え子の中に、すごく尖ってて面白い子が1人いましたよ。マンガはすごくうまくて、「絶対ジャンプでデビューする」と宣言してたんです。「マガジンやサンデーじゃダメだ」と。僕は「ジャンプ以外なら、読み切りで載せられるかもしれないよ」ってアドバイスしていたんですけど、彼は「いや、僕はジャンプでやりたいんで」って言ってきかなかった。
野球で言うなら、「巨人に入団できないなら、大学に進学する」みたいなやつですね(笑)
そうそう(笑)。で、その子に最近、再会したんです。そしたら、愛想笑いとか世間話がめちゃくちゃ上手になってて(笑)。「あの時あんなに尖ってたのにどうしたの?」って聞いたら、「この業界に10年いれば、こうなりますよ」って言ってましたね。
その人は、マンガで食べていけているんですか?
そうですね。まあ浮き沈みはあるみたいですけど。けっきょく「売れる・売れないは関係ない!」「編集がなんぼのもんじゃい!」っていう昔気質な人もいるんだけど、今の時代だとそういうスタイルの作品は、編集会議で通らないからね。それを貫き通すのは、なかなか難しいんじゃないかな。

じっくりと添削し、丁寧に、理論的に指示を出すのが、田中さんのやり方。

そうすることで、たくさんのヒット作を世に放ってきました。
話を聞いていると、マンガの“教育”と、マンガの“編集”って、似ているところもあれば、違うところもあるなって感じます。田中さんは今、どちらに重きを置いているんですか?
それがね、ちょうど今、同じくらいなんです。これまでは職業的な編集をやるつもりはまったくなかったんですけど、マンガ教育だけで食べていくのもけっこう大変で。僕が『いるかM.B.A』を立ち上げた時は第一号だったけど、いまは他にも10〜20校くらい出てきているのかな。
大小さまざまな規模で、競合となる教室が増えてきているんですね。
うん。教室同士で、パイの食い合いになっちゃった。だから、職業的編集者の方が、収入が安定するっていうのがありますよね。でもね、今まで教育に携わる中でやったきたことが、編集者としても役立っているんです。だからやってきて良かったって思っています。やはりマンガ家が持ってきた作品に対して、具体的な指示を出せるのがいい編集者だから。
「理由はよくわからないけど、とにかく面白くない」みたいな曖昧なニュアンスではなく、より具体的なアドバイスの方が、マンガ家さんも納得できますよね。
そうそう。いまだに「なんか、感情移入できないよね」とか、「もっとドラゴンボールみたいにならない?」みたいなトンチンカンなことを言う編集者もいるんですよ。はては「これ、ルフィが出てこないじゃん」みたいな(笑)。そういう編集者たちが、才能のある若い子たちの未来をクラッシュさせる。
その点、田中さんは「何がダメなのか」を理論立てて説明することができる。
例えばさっきの美大の話。1話目の6〜9ページは、主人公たちがただパチンコをして、勝ったやつが牛肉を買って、みんなで庭でバーベキューをしながらビールを飲む。みんな、課題の作品の提出した後だから「やっぱり、提出後のビールはうまいね!」みたいな。つまり特にストーリーが進むわけでもなく、中身のない3ページなんです。でもそこで、さきほど説明した“直感型の感情移入”を誘っている。
そこを読めば、自分も参加したい気持ちになりますよね。「俺も冷たいビールが飲みたい!」とか「明日は焼き肉に行こう!」とか。
うん。同じようなことは村上春樹の小説でも言えますよね。タバコの描写とか、めちゃめちゃ上手でしょ? あれも直感型です。そういうロジックをもとに、マンガ家に対して「あそこの3ページは、直感で感情移入できるように、変えたらいいんじゃない?」っていうオーダーができます。
へぇ。編集ってそういう具体的な手法の部分まで、アドバイスするんですね。僕のイメージでは、方向性だけを示して、そこにたどり着くための具体的なアプローチは、マンガ家が考えると思っていました。でもそうではなくて、手段の部分まで、一緒につくっているんですね。
そう。一緒にやっているんですよ。
つまり完全にチーム戦なんですね。たとえば、トヨタが『プリウス』という車をつくるプロジェクトを進めた時、それが個人の手柄ではないとなんとなくわかります。車のデザインをする人、エンジンを作る人、広告を作る人、全体を指揮する人……って、たくさんの人が介在しているって素人でもわかりますよね。でも、マンガの作品って、どうしても作者の評価になっちゃう。たとえば『キャプテン翼』がヒットしたとしたら、すごいのは高橋陽一先生だって思っている人が大半だと思います。でも、そうじゃないってことですね。

テーマ3『究極のアイデアマンが描く、次の構想は?』

田中さんは今、中国やサウジアラビアなど、日本以外の国でもマンガを教えています。生徒たちの雰囲気はどうですか?
特に中国はすごくいいですよ。彼らは「最新の服と髪型でいたい」「いい車に乗りたい」「いい女の子と付き合いたい」っていう3つを活力にマンガを描いてる。
ほぉ、それはいいですね。最近の日本の若者は、そういうギラギラした感じがないから。
そうですよね。それに日本より人口が圧倒的に多いので、中国でちゃんとした少年マンガをつくったら、めちゃめちゃ売れますよ。
中国でマンガで成功した人っているんですか? 自身の作品の印税で大富豪になった、みたいな。
まだ大富豪レベルはいないですね。やはり国によって社会のカタチが違うから、今僕が日本でやっていることを持っていくとしても、ある程度カスタマイズしないといけない。それで中国初の大ヒット作を生み出したいですね。
中国初の鳥山明や井上雄彦の誕生ですね。
そうそう。ほんと、中国の大学生は頑張っているから。朝の8時から夜の8時まで、ずっと描いている子もいましたよ。でもね、プライドが高くて。こっちがすごく初歩的なことを指摘しても、なかなか納得しない。3日くらい説明しましたよ(笑)

中国の大学で授業を行った際の1枚。ものすごい生徒数!

中国でも田中さんの認知度は、抜群!

生徒からの信頼度も厚いようです。
田中さんは、自身のお仕事として、マンガの教育や編集に携わりながら、新しいビジネスモデルをたくさん考えていますよね。なんていうか、僕も田中さんも、言ってみれば「部下の成長が楽しみ」みたいな年齢に差しかかりつつある中で、ずっと挑戦を続けている。それがすごいなって。
まあ、そうかな。
僕の好きな社長さんに、自身の著書の中で「おもしろいアイデア1つよりも、つまらないアイデアを1000個出せ」と言っている人がいます。僕もそれを部下に伝えるんですけど、田中さんほどそれを体現してる人はいないなって思います。そんな田中さんが今、思い描いている最終目標ってあるんですか?
ありますよ。僕はね、マンガ家としてデビューした人が、年金をもらえるまで食っていけるビジネスモデルをつくりたい。やっぱり歳をとると、感覚も絵柄も古くなる。そうすると、若者向けのマンガは描けなくなりますよね。それでも食べていけるような社会をつくりたいんですよね。
なるほど。
そこで思いついた一つのやり方が、そういうマンガ家さんを中国マーケットに売り出すっていうやり方。日本の80〜90年代の感覚って、今の中国にピッタリ合うんです。だから、ネームまではそういった20年ほど前に活躍したけど今はマンガの仕事がなくなっている日本の先生が描いて、絵の部分を中国の若手マンガ家が描く。このカタチを確立できたらいいなと思っています。あと、日本全国でマンガ学校を200個つくれば、少なくとも200人の講師を雇えます。それで、彼らにお仕事を依頼したいですね。彼らはみんな、マンガに何万時間もかけてきた人たちなんです。そんな人たちが「ちゃんと飯が食える」状態をつくりたい。
自身の学校の生徒を増やしたいっていうより、かつて活躍したマンガ家を講師として迎えられるだけの枠をつくりたいんですね。
そうです。別に自分の生徒はもうそこまで増やしたいとは思っていないんですよ。「プロのマンガ家になりたい!」って言ってくる人がいるから教えますけど、すでに社会人として生活ができている友人に「マンガ家を目指すかどうか迷っている」って相談されたら、「絶対に目指さない方がいい!」って全力で止めますよ。そうやって反対されてもやろうと思う人だけが、マンガ家になれる人だと思います。
商業誌で1回デビューするだけでも難しいですけど、デビューできたからといって、その後、そのままマンガ家として食べていけるのって、本当に一握りですよね?
そうですね。目安としては、40歳になったときに、5万人くらいのファンを抱えていたら最後まで食べていけるんじゃないかな。編集部の人たちも、コミックスのトータルの売上を10〜20万部で想定しています。だから、そこまでの数字を持っていなければ、残念ながら弾かれてしまう。



田中さんのメソッドが学べるスマホアプリ『drill』もリリースされました。画像は公式サイトから。
なるほど。確かに、1回デビューできてしまったがゆえに、その後、バイト生活っていうのも酷ですよね。「こんなことだったら、デビューもできず、普通に就職して、家族を持った方が幸せだった」って思うなんて……。
そうそう。僕なんかはね、けっきょく創作の才能がなかったんです。それが故に、こうやって、普通に生活ができている。実は大学時代は小説を書いていて、ずっと出版社が主催する文学賞に応募していたんですよ。1作目で文藝賞をとって、2作目で芥川賞をとるのが僕のプランだった。でも5年間かきつづけて、すべて見事な一回戦落ち(苦笑)
そうだったんですね(笑)
うん。やっぱり、プロを目指す子どもたちを教えるためには、自分にもプロ歴がないとだめだと思って、ずっと応募していました。でもね、そのときに下手に文藝賞とかとっちゃうよりは、落ち続けてよかったと今では思ってる。だって、そこまで才能もないのに単価の安い仕事をして、けっきょく自分が書きたいような小説は書けず、下読み(=文学賞などで、選考に残すかどうかを決めるために、作品を読む仕事。売れていない小説家や小説好き、大学生のアルバイトが担うことも多い)をしている生活を送るよりは、今の方がやりがいがあるし、夢もあります。
そうですね。田中さんがマンガ家になるか迷っているサラリーマンに対して、本人の生活のことを考えた上で全力で止めるっていうのは、よく分かります。そういったマンガの世界の構造を変えるためにも、今後も教育と編集を通じて、仕組みづくりをやっていくってことですね。
そうですね。ただ、それは1人ではまったく出来ません。雨森さんをはじめ、力を貸してくださる皆さんのご協力を得ながら、の話ですね。

(おわり)

SPEAKER’s Note

雨森武志
株式会社アイタイス 代表取締役

.

現在、1週間に1度は、必ずお話をする関係ですが、今回はじめて知ったことがたくさんありました。次々に出てくる奇抜なアイデアに賛同してくれる仲間が多いのは、その人懐っこい笑顔だけではなく、やはり根幹にある情熱でしょうね。そして、その行動力のもともとの源が、“怒り”にあると聞いてびっくり。パンキッシュなのは、服装だけじゃなかったんですね(笑)

田中裕久
いるかM.B.A. 代表

思いついたものを、ちゃんと形にしていくことって、なんと大変なんだろう、と思います。雨森さんとは友達ですが、そういう意味で、考えたことをきちんと形にする鬼というか、形にする時の凄みを感じます。その点、私はふわふわとした人間なのですが、15年マンガを教えてきて、形になったいくつかがあるので、それはよかったと改めて感じましたね。

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