僕が、魂を込めて書き上げた一文。僕が、全神経を尖らせてシャッターを切った写真。そのどちらも、到底、世界を変える力は持ち合わせていません。それで、いいんです。僕の長所は、特に取り柄のないこと。どこまでも”普通”であることです。だから、世の中にもっとも多いであろう「普通な人たち」と、ほとんど同じ感覚だと自負しています。素直に、「いいモノは、いい」と言えます。僕が、原稿を書くとき、写真を撮るときに、何よりも大切にしているものです。
世界は変えられませんが、そのサービス、その商品、そのビジネスの周辺にいる人たち、そして、それらを届けようとしている人たちが、「いいな」と思える、文章を書くことも、写真を撮ることもできます。しかし、それは、お客さまが心を込めてつくり上げてきたモノがあって、はじめて実現できることです。もしも、いまの自分たちに「なんか違う」と感じていたら、私たちにお手伝いさせてください。
STATEMENT
PROFILE
経歴
1991年長野県生まれ。高校を卒業後、音楽業界への就職を目指して上京。入学したESPミュージカルアカデミーにて、雨森と出会う。2011年から約4年間、音楽プロダクションにて勤務。その後、地元・長野の出版に転職する。編集部を希望するも叶わず、営業部に配属され、意図せず広告の提案から制作のディレクションまで幅広く担当。また、同時期に社内カメラマンとして、さまざまな案件の撮影を手がけるようになる。2017年に、アイタイスの代表である雨森から誘いを受け、再び上京。ライター兼フォトグラファーとして活動をはじめ、現在に至る。 はじめてお付き合いをした中学校の同級生と、東京で再会し結婚するという、ドラマのようなエピソードの持ち主。
できること
さまざまなクライアントに、取材・原稿執筆を行う一方で、カメラマンとして、ポートレートから物撮り、webサイト素材の撮影も担当。案件によっては、ディレクション、コピーライティング、撮影と複数の領域を横断して手がけている。
やりたいこと
webサイトのキービジュアルの上位互換として、企業理念やスローガン、会社の雰囲気などを、1枚の写真に表現した「コンセプトフォト」の撮影。業界や職種のあり方や慣例にしばられることなく、どこまでも自由な発想で作り上げる1枚。
SCHEDULE 西村勇祐のとある1日のスケジュール
08:30
起床
例外なく、朝はギリギリまで寝ています。中学生の頃から、朝食は食べない派なので、家を出るまで15分あれば十分です。
09:25
通勤/出社
時間がないので、自転車で急いで事務所に向かいます。余裕を持って出勤することはありません。自転車は、社長からの貰い物です。
10:00
ゴールデンタイム
午前中は打ち合わせや取材、撮影といった仕事が入ることが少ないので、集中して原稿を書いたり、写真の現像作業をしたりできる貴重な時間です。
12:30
ラーメンを食べる
コンビニで済ませることも多いですが、余裕があればランチは外食。西村の場合、「昼食+外食=ラーメン」なので、五反田にあるラーメン屋は早々に制覇しました。
14:00
取材スタート
取材のときの持ち物は、事前に回答してもらったアンケートとICレコーダー、そしてペンのみ。身軽ですが、心臓は毎回バクバクしています。
17:00
撮影の準備
撮影案件は、準備が肝心。当日までにどれだけ綿密な構成や計画を立てるかで、仕上がりが決まります。1つでも不安要素をなくして、本番を迎えられるように準備するのです。
19:30
きっちり、仕上げる
1日のはじめ方より、終わり方を大切に。あれも、これも、中途半端な状態では、次の日の仕事のパフォーマンスに関わります。仕掛りのものは、きっちり仕上げて帰ることが重要です。
20:30
夕飯
家に帰ると、奥さんがご飯を用意して待っていてくれます。帰りが遅くなるときでも、僕の分をつくってくれているので、すごく嬉しいです。翌日の活力をチャージ!
23:00
ゲーム、スタート
お風呂に入ってから、寝るまでの間はゲームの時間です。みんなとワイワイ遊ぶこともあれば、1人で黙々とプレイしていることもあります。
西村勇祐をつくった9枚
- 1.桜の木の下/aiko
- 2.無罪モラトリアム/椎名林檎
- 3.MAKING THE ROAD/Hi-STANDARD
- 4.Paranoid/Black Sabbath
- 5.逃した魚/back number
- 6.RIOT ON THE GRILL/ELLEGARDEN
- 7.ハイファイ新書/相対性理論
- 8.the TEARS OF a CLOWN/RCサクセション
- 9.The King Of Limds/Radiohead
桜の木の下/aiko(2000年)
年の離れた兄姉がいる僕にとって、音楽の原体験は、彼・彼女らによるものでした。いま思えば、当時の体験が、比較的J-POPを好む性格をつくり上げているのかもしれません。その中でも、aikoは、中学時代によく聴いていましたね。中学の文化祭で、マドンナ的な存在だった先輩が「花火」を歌っていたんです。その時から、「可愛い女子=aiko」という勝手なイメージを持っています。愛嬌がありながら、ちょっとメンヘラっぽい歌詞が、思春期の僕にはちょうどよかったんですよね。ただ、aiko以外がaikoを歌っていても、ぜんぜんピンとこない。それまで、何となく聴いていた曲に、当たり前に存在していた「声」というものを、強く意識したのは、彼女がはじめてだったと思います。そういう意味では、かなり重要なアーティストのひとりと言わざるを得ません。あと、顔が好みです。かわいい。
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無罪モラトリアム/椎名林檎(1999年)
中学の頃は、携帯もiPodも持っていなかったので、安いポータブルCDプレイヤーを買ってもらい、音楽を聴いていたんです。だから、自然とアルバムを通して聴くことになるのですが、この作品では1曲を何度もリピートした記憶があります。それまで触れてきた音楽とは違い、「なんか変」だったから。歌詞以上に、ギターとかベースの音に、強制的に耳を傾けさせたんですよね。結果「めちゃくちゃかっこいい!」って悶絶していました。ちなみに、初めて出来た彼女と、友人カップルと初Wデートのとき、CDプレイヤーに入っていたのが、この作品だったんです。男友達から「何を聴いてるの?」って聞かれたときに、「椎名林檎」と答えられませんでした。アダルトな香りがする作品を聴いてると思われたくなかったんでしょうね。その彼女は、いまの奥さんです。
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MAKING THE ROAD/Hi-STANDARD(1999年)
もっとも好きなバンドを挙げるなら、間違いなく彼らでしょう。僕が聴きはじめた頃には、すでに活動を休止していました。それもあってか、少々、神格化していたのかもしれません。しかし、わかりやすいベースに、必死に叩いているドラム、そして何より、腰より低く構えてパワーコードをガンガンに弾き鳴らすギター。そんな彼らの姿は、田舎に暮らし、インターネットもろくに使えない少年の人生を大きく変えました。聴けば聴くほど、ありがちなメロコアだと思います。それでもなお、彼らに憧れ続けられるのは、横山健が僕の唯一のヒーローだから。VANSのスニーカーを履きつぶしたのも、Dickiesを腰パンで履いたのも、ダウンピッキングを練習したのもの、すべて彼を真似るためでした。そんな〇〇キッズ的なことをしたのは、人生で彼だけです。
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Paranoid/Black Sabbath(1970年)
洋楽と邦楽のどちらを好んで聴いているということはなかったのですが、年代で言うと90年代以降を多く聴いていました。ただ、友だちが少なかった僕は、誰かと情報を共有しあって探すのではなく、何かしら過去の資料から「この人が聴いてた、あのバンド」と、掘り下げていく開拓の仕方をしていたんですね。これも横山健が、何かのインタビューで「Black Sabbath」という名前を口にしていたから。「だったら」と僕も、トミー・アイオミのギターリフをコピーし、ソロパートも練習していたのです。別にどこに披露するわけでもないギターでしたが、自分で弾いて、自宅のアンプから鳴る、王道のフレーズたちは、ものすごい達成感を与えてくれましたね。結果的に、70年代の曲をちゃんと練習したのは、このバンドくらいだと思います。
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逃した魚/back number(2009年)
高校時代になると、聴く音楽の幅は一気に広くなりました。その理由は、一緒に生徒会活動をしていた同級生の女の子の存在です。まだ無名だったONE OK ROCKを教えてくれたのも、「下北系」という歌ものバンドのジャンルを教えてくれたのも、その彼女でした。その中のひとつに、いたんです。いまや超メジャーな3ピースバンド・back numberが。オススメされるがままに聴いた、このミニアルバムは、超シンプルなトラックに、異常に女々しい歌詞を乗せた曲が、ひたすら続いています。そして、メンバーはイケメンでもない。だから正直、こんなに売れると思っていませんでした(笑)。でも、改めて聴き直してみると、少ない音数と切ない歌詞との相性がいいんですよね。思い出補正もありますが、若かりし頃を鮮明に思い出させてくれる、大切な1枚です。
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RIOT ON THE GRILL/ELLEGARDEN(2005年)
80年代後半から90年代前半に生まれた世代には、避けては通れないバンドでしょう。みんな、こぞって聴いていたし、活動休止が発表されたときは、やたら悲しんでいたと思います。しかし、斜に構えることがかっこいいと思っていた僕は、まったく興味のないふりをしていました。大勢が「いい」というものに対して、アンチになるという、遅れてきた中二病だったのかもしれません。でも、2019年のフジロックでの彼らのステージを観たとき、めちゃくちゃ盛り上がっている自分がいました。たった数回しか聴いていない曲でも、ちゃんと覚えているんです。だから、本当はすごく好きだったんだと思います。もっと聴きたかったし、誰かとエルレについて話したかった。でも、それが出来なかったことが、僕の暗〜い青春を表していると思うので、それも、またいい思い出として大切にします。
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ハイファイ新書/相対性理論(2009年)
ハマり方の最大瞬間風速が大きかったのが、このバンドです。aiko以降、女性ボーカル好きは続いていたのですが、相対性理論に関しては、声も含めたサウンドに惹かれていました。よく「中毒性」を謳った帯のキャッチコピーを見かけますが、その言葉が一番似合うのが、同バンドだと思っています。ちなみに、ライブは一度も観たことがありません。勝手な想像ですが、音源とライブでは、完全に別物じゃないでしょうか? これまた勝手な意見ですが、相対性理論は、1音1拍までこだわり抜いた、レコーディングとマスタリングを経た完璧な音源があってこそ。バンドメンバーの上手さも目立ちますが、エンジニアに至るまで、ひとつのチームとして、つくり上げていったであろう音の気持ちよさは、他に代えがたいですね。
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the TEARS OF a CLOWN/RCサクセション(1986年)
忌野清志郎という人物が、人生に与えた影響は計り知れません。彼の訃報を聞いたのは、まだ高校生の頃でした。それから数年後、夢だった音楽業界への就職を果たした僕は、約4年間、忌野清志郎にどっぷりと浸かった時期を過ごすことになります。ひたすらに聴き込んだ彼の遺した楽曲たち、そしてその彼に影響を与えた音楽。そのすべてが、僕のもうひとつの原点になりました。高3の初夏、「音楽の専門学校にいく」と進路指導の先生に伝えたとき、猛烈に反対されたんです。別に進学校でもないのに(笑)。それを無視して上京し、一切の後悔がないのは、忌野清志郎がいたからだと断言できます。
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The King Of Limds/Radiohead(2011年)
12年のフジロック前に、めちゃくちゃ聴き込んだ1枚。彼らのライブを観る機会なんて、そうそうないので全力で楽しむためでした。その年のラインナップはすごくて、ザ・ストーン・ローゼスや、ジャック・ホワイト、アット・ザ・ドライヴインなど、日本勢を含めてとにかく豪華だったんです。結局レディオヘッドもフェス用のセットリストだったので、聴き込んだ意味はあまりなかったんですけどね……(笑)。ハイライトは、「Idioteque」で、リズムミスをした瞬間に、トム・ヨークが呆れたような顔をしたこと。そのとき以外は、たくさんの人が集まっているのに、彼らの音楽だけが耳元で流れていて、他の音はいっさい入ってきませんでした。そんな不思議なライブは、彼らが最初で最後ですね。やっぱり、すごい。
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西村勇祐ってこんな人
北田岳史デザイナー
孤高の料理人(のような……)
彼の作るものはどれも繊細かつ大胆である。日々の努力で培われた卓越した技術と親譲りの才能で、日々、業界のグルメマン達をうならせているに違いない。一度食せば、西村氏の鋭敏な感覚やセンス、思考の緻密さや深さ、料理に対する情熱や哲学、さらには人間性までもは全然わからない。彼はそんな、我道をゆく料理人のような、ディレクターになってくれるでしょう。
乾慎登フロントエンドエンジニア
みんなのプロ後輩。
立ち回りが良く、すごく気の利くみんなの後輩、プロ後輩です。印象的だったのは、飲み会でおじさんたちに将来のビジョンを訊かれたとき、「特にないです」と即答していたニシ。逆にこいつカッコいいなと思いました。カメラもコピーライティングも、自己研磨ではなく必要とされたから始めたと話していたように記憶していますが、そうは言っても何か思うところもあるのでしょう。いや、まじで無いかもしれません。あとローストビーフを焼くのがうまいです。
馬場健太朗馬場建築/大工兼プランナー
物腰柔らかく、されど芯は固し。
まず、真面目。次に、真面目。結局、真面目。そして、真面目。「相手(クライアント)側に立って考える。」という、当たり前だけれど、それでも多くの人ができないコトを実直に体現する人ですね。色々わがままを言いましたが、最後まで一緒に考えてくれて、嬉しく思いました。「業者」ではなく「パートナー」を求める方には、オススメです。トンデモ発想を受け止め、整理する度量も持ち合わせていますから(笑)いったん話してみましょう、西村さんに。